Deep Clear Eyes(幻想水滸伝1EDあたりのおはなし)

幻想水滸伝1同人誌に収録 1999年作品 キルキスメイン

水面を滑る雲が、緩やかにトラン湖を渡っていく。
その光景は、日々変わることなく繰り返されたものだ。たとえ世に戦乱の嵐巻き荒れるとも、血煙たなびく風吹こうとも。
だが、トラン湖に映える居城はかつての主を失った。失って、なおその姿を湖面に宿す。それが示す意味を、かつての城、ラドミーリル城はただ静かにたたえていた。
戦いは終わったのだ。開放軍の勝利の名のもとに。
人々には平和と安寧がもたらされ、ラドミーリルに集った勇士達も以前の自分の生活へと戻りつつある。命を預け合った仲間の肩を叩いて彼らを送り出し、カクへと向かう船を見送った者がまた別の仲間に見送られる。そんな光景が、日々繰り返されていた。
そして彼も今日、ラドミーリルを去る。
出航の時間は迫っている。だが、そのための一歩が今だ彼は踏み出せずにいた。
いつも自分が日に当たっていた、切り出された崖の一角。戦いの中にあっても、ここに帰ってくれば一時の安心が待っていた。いつも眺めていた風景、トラン湖を抱くその遠景は今も目の前にある。しかし、もう見ることはかなわないという思いがわずかな寂しさとなって、自分をここに留めているのだと思った。
柔らかな風が、彼の短い髪を撫でていく。
「……ん? まだここにいたのか、キルキス」
背後からかけられた声にキルキスは振り向いた。戸口には青い髪をひとつにまとめ、笑みを絶やさない友の姿がある。
その友スタリオンも、一緒の船でラドミーリルを去る。だが、同じエルフ族ではあっても、スタリオンはキルキスと同じ道を歩むわけではない。カクの町に着いたらすぐ、彼は未知の土地へと走り出すことに――――正しく文字の通りに――――決めている。走ること、速さを極めること、それこそがスタリオンの人生の全てであり彼そのものである。実際、その健脚はかつての軍の中にあって重宝されたものだ。
(そう言えば、ロムルスさんがいた頃も、よくこうしてスタリオンが僕をパーティに呼びに来たっけ)
そんな回顧の念が、ちらりと彼、キルキスの脳裏によぎる。だが当のスタリオンはいつもと変わった様子もなく、のんびりとした動作でトラン湖に目をやり、気持ち良さげに伸びをしている。何にも考えてませんと誇らしげに主張するその笑顔はキープされたままだ。
「スタリオン、シルビナは?」
一緒に帰郷する連れの事をキルキスは尋ねた。
「んー? そこらじゅうの奴に別れの挨拶してるぞ。カミーユとかビッキーとか、宿屋のマリーとかにさ」
「そうか。沢山友達ができたんだなあ」
「ま、アレを友達と言うかどーかは知らんがね」
わずかに肩をすくめたスタリオンの横に並び、キルキスは腰を下ろした。トラン湖から吹き上げる風が、心持ち強くなった。
「あ、オレもオレも」
スタリオンもすかさず横にあぐらを組む。
まだ、日は傾かない。白い雲に時折隠れては、二人に投げかける光を惜しんでいる。何の変哲もない、晴れた午後。
「……早かったなあ」
珍しく、スタリオンが感慨深いといった口調で呟いた。
「ああ。全てが…、早かったな。何か、早すぎて、ここを出て行くって実感がないよ」
囁くような言葉が風に乗る。
静かに言葉を選んで、自分に言い聞かせるように、キルキスはその胸の内を口にした。それが今の彼の素直な心情であることに違いはない。だが、その口調には押し込められた不安がかすかに滲んでいた。
自分は森に帰る。かつての住処だった大森林の奥、エルフの森に。だが、彼を迎えてくれるはずの村はない。戻った自分に課せられる事は、焦魔鏡で焼き尽くされた村の再興。
逃げ延びた仲間もきっといるだろう。もちろん、彼らを探し出して共に村の復興を進めるつもりではある。だがしばらくの間は自分一人で全てを進めなくてはならない。…いや、一応連れはいるのだけれど、彼女シルビナはまだ子供っ気の抜け切らないところがあり、便りになるかというとそれもちょっと。
長い寿命を有するエルフとは言え、その道程はやはり短いとは言えない。その漠然とした目標に対する不安がキルキスの中にはあった。
自分一人で抱える不安。
いつかは直面すると思っていたし、分かってもいたはずだった。だがいざその状況に出会ってみて、自分の何と弱いことか。
開放軍にいて、自分は強くなったんだと思っていたのに。
一人ではなかった。ただ一人、軍に助けを求めに来たあの日から、自分の存在は村にいた頃よりも強くなって、生きているという実感すら湧き上がってきていた。なのに。
変化のない囲われた一つの種族の中での生活は、安全ではあってもどことなく平坦で、進んでいかないもののように思えた。ルビィもそんな村の生活に嫌気がさして出ていったのだと、今はよく分かる。それと比べるに、開放軍での毎日というのは本当に目まぐるしいまでだった。戦いに戦いを重ねる、ともすれば命をも落としかねない日々。けれど、運命を同じくする同胞が集う中で、目の前の目標に向かって突き進んでいた。そうしている事が自然に行われすぎて、自分の強さの証だと誤認したのだろう。
あくまでそれは、自分一人の力ではなく、皆がいたから出来た事。
今、それが成され、巣立たねばならない現実の前で改めて孤独と不安を強く感じている。それはまるで、母の体の中から外へと旅立つ命の思いのような。――――無論目も見えない幼子はそんな不安を抱くことはないのだろうが、それだけキルキスにとってラドミーリルが、そこにあった環境が、安らぎと形容するに足りるものだった。
口にすれば何かが崩れそうな気がする。咄嗟に、キルキスはスタリオンに話を持ちかけた。
「スタリオンは、どうするんだ? これから」
「オレ? オレはもちろん、また修行の旅に出るさ。まだまだ自分の足に完全な自信ってのはないからな。とことんまで走りこむつもりだぜ。足を磨いてくるさ」
造作もなく、スタリオンはにへらと笑う。何のためらいもなく未来を口に出来る彼を、キルキスは少しだけうらやましく思った。……決して、彼の短絡的思考回路にではなく。
わずかに視線を落とし、数度まばたきをする。
「そうか。……あ、もし……もし、その先でロムルスさん達に会うような事があったら……」
「ん。よろしく言っておいてくれ、だろ?」
「うん。頼んだよ」
そうスタリオンにことづけして、キルキスはふと、彼の事を思い出していた。
ロムルス=マクドール。
この城の主にして、開放軍のリーダーだった人物。しかしその願いを成し遂げて後は、全てをレパントに任せて旅に出てしまった。彼の行方を知る者はいない。だが、彼の身に幸多からん事を願わない者はラドミーリルにはいないはずだ。
……ふいに、今の自分と彼とが重なって見えた。自分が成そうとしていることと、彼が成し遂げたこととを比べるべくはないけれど。
運命に流されるがままに、ロムルスは開放軍のリーダーとなった。自分がこのラドミーリルにやってきたのは丁度その頃だった。幼いながらにリーダーとは、しっかりしているんだなという印象を最初キルキスは抱いていた。
その運命の最中にあって、彼の――――ロムルスの胸中は如何程であったか。その傷みを、悲しみを、孤独を推し量ることは誰にも出来はしない。
自分に心を預けた親友を救うことは叶わなかった。
自分の目の前で、最も親しい者が自分を守って命を亡くした。
自分の父を、その手にかけねばならなかった。
それだけの代償を支払って、彼がこのラドミーリルで手に入れたものは何だったのだろう。それだけの傷を埋めるに相応しいものだっただろうか。ずっと彼の側で一部始終を見ていた自分には、それは他人事ではないように感じられた。が、どうやっても自分はロムルス自身ではない。傷を癒すことも慰めることも容易には出来ず、やるせない気持ちを抱えていた、あの日あの時。きっと周囲も同じであったろう。そういう時、大抵上手く回りをとりなしていたのはビクトールだった。
全ては過去である。そこから抜け出すのはその当人の意思だ。
風が黙して語らない二人の間を静かに過ぎていく。いつの間にか身体が折れ曲がり、額と膝がくっついていた。
「……行かなきゃな。そろそろ」
スタリオンが静かに促した。カクに向かっていた船がこちらへと戻ってくるのが見えたのだ。だが、キルキスは頭を上げようとはしない。凍りついたその姿勢に常とは違うものを感じたか、スタリオンはただ黙って彼を見つめている。
「……出来るんだろうか。僕に」
観念したようにキルキスが頭を起こした。その顔に現れているのが不可視のものへの狼狽であると、スタリオンも気が付いた。キルキスは唇を噛み、必要以上にまばたきを繰り返す。見えない未来を振り払おうとするかのように。別に、彼がその答えをスタリオンに求めているわけではない。けれど、同じ生まれの者として、そして今ここから旅立つ者として、無意識のうちにキルキスは思いを彼に向けて放っていた。
「……恐いかー?」
「え?」
突然向けられた言葉の意味が分からず、キルキスははっとスタリオンに顔を向けた。スタリオンは目を細めてトラン湖を見ているだけだが。
「オレ、そんなに恐がんなくてもいいと思うんだけどな」
よっこいしょ、とスタリオンが立ち上がり、服をはたきながら言う。村の再興に参加しない身で、結構無責任な発言ではある。だがキルキスはそれに言葉をつなげるようなことはせず、ただスタリオンの言葉に耳を傾けていた。
ふいに、スタリオンが薄く目を開いた。何故だろう、ほんの一瞬だけではあるが、かつてのロムルスの眼差しとスタリオンのそれが重なったように見えた。誰にも見えない遠くを見はるかす、その様子が。……もっとも、スタリオンにロムルスのような洞察や意思があるとは思えなかったが。
深く澄んだ瞳。ロムルスの眼にはわずかに諦めが宿っていたように感じたこともある。比べて、スタリオンにはそれがなさすぎる。それでも何故か、同じだと感じた。
「オレは、オレが走りたいって思うから走ってるよ。好きだからずーっと走ってくんだ。それが何だって言われたら、ま、何なんだろーなーって思うよ。でも、それしかやる事ないし。それがやりたいんだしさ。結局、それがオレなんだよ」
ふうっと息をつくと、スタリオンはキルキスに向き直った。視線がぶつかる。ポケットに手を突っ込んで軽く背を曲げた姿勢のまま、スタリオンはキルキスににんまりと笑い返してみせた。
何も変わらないよ、というように。
「好きなようにやったらいいじゃん? お前、何もないところから始めるんだからさ、ちょうどいいやな。まずやりたい事から、何か目標にして少しずつ、さ。今までもそうだった。なら、これからもそうだ。何も変わんないさ。生きるってコトは。お前らしくやればいいと思うよ、オレはな」
多分、そんなに考えはない言葉。言いようによっては、思いつくまま本能のまま、という取り方もできた台詞。
ただ、それだけ。それだけで十分だった。
「キルキス、おまぁなあ、一番大切なヤツが側にいて、何悩むことあるんだ? 動かなきゃ何も始まらないんだぞ。ほら、立った立った」
いい加減動かないキルキスにしびれを切らしたか、スタリオンがキルキスの頭をわしゃわしゃとかき回し、腕を掴んで立たせようとする。だがそうされるより早く、キルキスは自分自身の力ですっくと立ち上がっていた。
その眼が、笑っていた。
「……そうだな。やってみなきゃ……わかんないよな」
「ん。そうだ」
迷いを吹っ切った顔のキルキスに、スタリオンも満足げににっと笑う。
と、二人の背中に甲高い声が飛んだ。
「キールーキースー! スタリオーン! 船が出せるから早く来いって、タイ・ホーさんが呼んでるよー! それとねぇ、アントニオさんが、餞別にってお弁当作ってくれたって! 先に行ってるよー!」
言うことだけ言ってしまうと、シルビナは軽い足取りで階下に消えていく。
「あ、オレもオレも!」
さっきまでの彼なりに真面目な顔はどこへやら、スタリオンもシルビナを追ってダッシュで行ってしまった。
最後にもう一度だけ、キルキスはトラン湖を振り返る。
目を閉じて、風の匂いを深く刻み込む。それを、住み慣れたこの場所へのさよならの代わりにする。
自分だけ甘えるわけにはいかない。何より自分には手のかかる、少し厄介でわがままで、……それでもたまらなく愛しいあの子がいるのだから。
それだけで十分だ。自分の生きる理由は。
きっとまた、道は静かに、ゆるやかに開けていくであろう。
ルビィはまた自分達の知らない間に姿を消してしまっていた。でも、いつか村が再興したら、きっと彼を探し出して村に迎え入れよう。彼だけじゃない、散らばった仲間達が帰って来たいと思うような、そんな村を作る。それを目標にしよう。
階段を下り、船着き場に向かう。丁度シルビナとスタリオンが餞別を船に積み込んでいる所だった。と、少年がひとり、キルキスに向かって手を差し出してくる。
「キルキスさん、森に帰ってもこのラドミーリルの事を忘れないで、たまには遊びに来て下さいね。頑張って下さい、これからも」
「ありがとう、クロンくん。君もここの留守番役、頑張ってね」
握手を交わし、二人は互いに微笑んだ。城に残る者と旅立つ者との心が交差する最後の瞬間。カイやカミーユ、ゼンといった面々が船に乗った三人に惜しみなく手を振っている。
「エルフさん達もお帰りか。向こうでもしっかりやってけよ」
「出航させるよ、義兄さん。みなさんも危ないから立ったりしないでくださいよ……よいしょっと」
船頭をかってでたのはタイ・ホーとヤム・クーの二人だ。ヤム・クーが棒で岸を押しやると、船は静かに滑り始めた。
船はカクに向かう。その先に見果てぬ未来に、キルキス達三人は今、踏み出したばかりなのだ。
深く澄んだその瞳に空模様が映り、トラン湖を渡る人々を送り出すように、風が雲を引き連れて遙かな土地へと駈けていった。


END