ディア モデストマン(最終話のその後……)

風が吹く。
風が吹き、こころをひとつ運んでゆく。

「あ」
突然草原を渡った一陣の風に、フォンドヴォーは小さく首を竦めて目をつぶった。僅かに軽くなった頭を手で撫でると、いつもそこにあるはずのそれがない事に小さく声を漏らす。
「フォンドヴォー!帽子…」
手をつないで一緒に散歩していたコロッケが、空高く吹き飛ばされたフォンドヴォーの帽子を指差した。舞い上げられた黒いシルエットは調子よく風に乗り、草原の向こう、街のある方向へとそのまま飛んでいってしまう。
「…まあ、仕方ないな。また新しく買えばいいさ」
さして気にするでもなく、再びコロッケの手を引いてフォンドヴォーは歩き出す。グランシェフ城とその周辺を広く見渡せるメンマの丘。いつも背負っていた重いハンマーと棺桶とを宿に置き、二人は散歩がてらこんな所まで歩いてきていた。午後の日差しが草原の緑を輝かせ、絶え間なく吹く穏やかな風が二人の髪を揺らして渡る。
旅の途中で何度も眺めてきたのどかな風景。けれど、二人には今までとはきっと違って見える景色。
「平和だなー」
草原に寝転がり、普段はあまり口にしないような言葉をコロッケが呟く。彼の頭に愛用のヘルメットはない。しばらくすれば、またバンカーとして禁貨を集める旅にきっと出るだろう。けれどそれまではあのヘルメットを休ませてあげよう、そう言ったのはコロッケだった。
「平和になったもんだな。こんな所で呑気に昼寝していても、バンカーの一人も襲ってこない」
コロッケの横に並んで大の字になり、高く青い空を仰いでフォンドヴォーが答える。全身で感じ取る世界の穏やかさは平和の訪れの象徴だった。この世界を脅かした恐怖は去り、世界を守った少年達にもつかの間の平穏が与えられた。背負っていた荷物を降ろし、二人は思い思いの呼吸で手にした幸せを確かめている所。
「さて、それはどうかな?」
「!」
声と共にコロッケの眼前に繰り出される拳。コロッケの顔のわずか二センチ手前で止めた拳を引き戻し、銀髪の少年が少々呆れたように肩をすくめた。
「二人してこんな所まで来てるなんてな。羽根を伸ばすのもいいけど、用心くらいしたらどうだ」
「リゾット!リゾットも来てたんだ?」
「オレだけじゃないぜ」
ぴょんと起き上がったコロッケにリゾットが目配せする。二人が見やった先には、ひょいひょいと丘を登ってくる猫の姿。
「おーい、リゾット、ちょっと待て~。お前、早いつってんだろ~」
「ウスターの体力じゃ、まだリゾットのスピードには追いつけないか」
身体を起こしたフォンドヴォーがへばり気味のウスターを見て笑った。
「あ、てめ、このやろフォンドヴォー。せっかく人が来てやったってのに」
「ははは」
顔を合わせた四人が誰からともなく笑う。一瞬の沈黙の後、皆が互いの顔を見渡して小さく頷いた。
「…早かったよな。ここまで来るのがさ」
「ああ」
「オレ、楽しかったよ。みんなといて、すっげー楽しかった」
「そうだな。退屈してる暇もなかった」
それぞれが絶望と希望とを胸に抱き、共に歩んできた時間。朽ち折れずにここまでこられたのは、今ここにいる仲間がいてくれたから。みんなで掴み取った平和の中、笑っていられる幸福。
改めて口にする事はない思い。確か過ぎるほどに皆の胸に満ちる想い。それを自然と共有している事に、つい口元がほころぶ事に誰もが気づいていた。
「…?ウスター、それ」
「あ?おう、さっき下で拾ったんだ。フォンドヴォー、あんたのじゃないか」
見慣れた黒い帽子をウスターが隠し持っていた事に身長の低いコロッケが気づいた。
「そうだ、さっき飛ばされたんだ。ウスターが拾ってくれてたのか、有難う」
「へへ。のんびり来るのも悪いこっちゃないってね」
帽子をフォンドヴォーに返そうとしたウスターに、コロッケが飛びついた。
「ねー!それ、オレがフォンドヴォーにかぶせてあげるよ!貸して、ウスター!」
「有難うな、コロッケ。よし、俺がしゃがめばいいか」
「や、ちょっと待て。こうすりゃいんだよ」
フォンドヴォーの帽子を手にしたウスターがコロッケの両足を掴んで肩車した。ちょうどフォンドヴォーより背が高くなったコロッケが、フォンドヴォーの頭に帽子を戻してぽんぽんと叩いた。
「お前、こんなに軽かったんだなあ。いつものハンマーがあるんじゃ担げないけど、お前一人ならオレでもどうにかなるな」
マンモス三頭分のハンマーがあっては担ぐどころの話ではないが、それを下ろした今のコロッケはどこにでもいる小柄な少年。コロッケを肩車したまま、ウスターがくるりと一回転した。
「丁度いい、そのまま街までコロッケを連れてってやったらどうだ」
「おー。そうするか」
フォンドヴォーの提案に頷き、軽い足取りでウスターが歩き出す。ウスターの頭にしがみつき、きらきらした目で周りを見渡しながらコロッケが叫ぶ。
「わー!すげー、ウスターやフォンドヴォーっていつもこんな高さでオレ達の事見てたんだ!リゾット、ちっちゃいなー!」
「お、おい。オレが小さいんじゃなくて、お前が高いところにいるだけだろう」
「ははは。まあ、リゾットはそのうちウスターに追いつくくらいには大きくなるんじゃないか?」
「まあな」
ウスターとコロッケをと追って歩き出しながら、フォンドヴォーとリゾットが言葉を交わす。
「…これから、大変になるだろ」
「そうだな」
グランシェフの復興、そして国の統治。王子としてのリゾットの背中には生涯降ろす事の出来ないものが背負われている。
「でも、オレは一人じゃない。そして、もう二度と失わない」
力強く発せられた言葉に、フォンドヴォーがリゾットの頭を撫でた。
「大丈夫だ。…お前ならやれるさ、王子様」
「ああ」
歩みを止め、ウスターとコロッケが進んだ先を見やったリゾットがフォンドヴォーに告げる。
「あんたも、もう失くしたりしないな」
リゾットの言葉と同時に、コロッケがウスターの肩からぴょんと飛び降りた。駆け出す先には、短い髪の男の姿。
「父さん!!」
「へへ、やーっぱりこっちだったっぺかー。みんなの匂いがするんで、お師匠さん連れてきたっぺよ」
嗅覚を頼りにバーグを案内してきたのだろうTボーンが四人を見つけて笑った。
「みんなと散歩してたのか、コロッケ」
「うん!ウスターに肩車してもらったんだ!色んなものが見えた!ねえ、父さんも肩車してよ!」
「よしきた」
片腕で軽々と息子を抱き上げ、造作なく肩車するバーグ。コロッケがしがみついたバーグの頭に愛用のヘッドギアはない。コロッケに習って、旅に出るまで休ませておくかとバーグが荷物の中にしまったのだった。
「フォンドヴォー!戻ったら飯の準備だ。食後には軽くしごいてやるから、覚悟しておけよ」
「…はい!」
いつもの事、というようにフォンドヴォーに言付け、バーグはコロッケを肩車したまま丘を一気に駆け下りてゆく。蘇った親子の背中を見送る金色の眼差しは、今までにない穏やかさに満ちていた。
「そうだな。もう二度と、俺は…失ったりしない」
小さくそう呟く唇が震えるのは、喜びと、そして。
「あれ?フォンドヴォー、目にゴミでも入ったっぺか?」
「ん。そうだな、ちょっとちくっとした」
そして相変わらず天然なTボーンの言葉に、フォンドヴォーが調子を合わせて小さく笑った。二人の様子を見ていたリゾットが優しい顔で微笑み、街へ向かって歩き出す。
「あーあ、平和すぎるのも退屈なもんだ。どっかで事件でも起きないかね」
「おいおい、オレのいる所でそんな言い方はないだろう」
余裕の発言をかますウスターにリゾットが肘鉄を食らわす。追いついてきたフォンドヴォーとTボーンが横に並び、互いの顔を眺めると誰からともなく頷いた。
「ま、そう簡単に平和になんかなりゃしないって」
「このまま何もないんじゃ、オラ退屈で眠くて死んじまうっぺよ」
「師匠とコロッケが揃って、何も起こらないないわけがないだろう」
「オレが安心して城に居つけるのも、当分先ってことか」
口々に放たれた言葉に、四人が同じタイミングで吹き出す。止むことのない笑い声が、グランシェフに響けとばかりに草原の風に乗った。

風が吹く。
風が吹き、いくつものこころを運んでゆく。
しあわせが満ちたこの世界に、希望と平和とを息吹かせる風が。


END