Rain 10(ウスター×リゾット)



ひんやりとした石壁の感覚、独特の湿気からここが城の地下なのだろうと推測された。リゾットに手を引かれるままに歩き出してから約十分、行き着いた先はこんな場所がグランシェフ城にあったのかと思うような暗い空間だった。随分と間隔をあけて灯されている小さな蝋燭の光だけが二人を照らす。それがやたらと不気味で不吉な気がした。
「どこまで行くんだよ」
「もうすぐだ」
ウスターに合わせてゆっくりと歩きながら問いに答えるリゾットの声に迷いはない。無言のまま進みゆくうち、闇の先にほんのりとした明かりが見え始める。近づくにつれ目を刺すような明るさになってくる光にウスターは目を細めながら歩を進めた。
「着いた」
そう言うと同時に、リゾットがぱっとウスターの手を離して走り出す。引かれていた手が突然離れた事でウスターも急いで飛び出すが、急に光の中に飛び出したのですぐには目が開けられない。次第に視界を慣らしていくと、太陽の光の照らす場所に出たのだという事に気づく。
「……庭?」
周囲を見渡してウスターが呟く。周囲には苔がこびりついた石や生えかけの草が溢れている。いくらかの花も見受けられるが、奇妙なのはそれらが倒された石の隙間を縫うように咲き誇っている事か。目をこらしてよく見れば、転がっている石は今歩いてきた薄暗い通路の岩壁と同質のものである事が分かった。
「ここは元々牢屋だった。それを壊して庭にする予定なんだ。まだようやく屋根の部分を外し終わったくらいだが」
少し離れた所からリゾットの声がした。まだ解体の途中なのだろう、相応に数の残る牢屋の壁の残骸に腰かけながらウスターに顔を向けている。
「城の改装でもすんのか?けっこう大仕事だろ、これ」
「まあな。幸い牢屋部分の上には城の建造物がなかったから下へ掘り進めるだけだけど」近寄ってきたウスターに成り行きを説明するリゾットの顔が一瞬引き締まり、力強い口調で言った。
「牢屋なんてもの、これからのグランシェフには要らない。要らない国にする、したいんだ。だから牢屋の解体を始めた。ここが庭になって、来賓や国の皆が見て心安らげる場所になってくれればって、思う」
未来への希望に瞳を輝かせる王子様に、ウスターも取り残された牢屋の柱部分に寄りかかりながら目を細めた。
「いい事じゃねえか。喜ぶ奴いると思うぜ。頑張れよ」
「ああ」
やがて緑に変わりゆくだろう地面を手で撫でながらリゾットが頷いた。
「見せたいモンって、これか」
「ああ。ウスターに見て欲しかった。一番に」
「一番?」
「工事担当者と父上、オレ以外はまだ誰も見てない」
「へえ、そりゃまた光栄なこったな。…目に焼き付けとく。ありがとよ」
何年か先にここを訪れたなら、新緑の萌える素晴らしい庭園が出来上がっている事だろう。カラスミ達によって国王と王妃が閉じ込められたという暗い歴史の影を払うような、新しい時代のための庭が。リゾットならきっとそれが出来る。そう思いながらウスターは岩壁だった柱を見上げ、そっと手で触れた。
「ウスター」
「ん?」
名を呼ばれウスターが振り返る。正面で座ったままのリゾットが、真っ直ぐな眼差しでウスターを見ていた。
「一緒に、見届けてくれないか。この庭が出来るのを」
「へ?」
目を瞬かせるウスター。立ち上がりながら、リゾットがさらに具体的な言葉で事の核心を告げた。
「グランシェフに残ってくれ」
「え、ああ?な、何でオレがここに残…」
「一緒にいてくれ。オレの、傍に」
「…………」
紅い瞳が自分を求めている現実にウスターは反応ひとつ出来ず、柱に縫い付けられたように立ち尽くすだけだった。
「嫌か。オレが一緒じゃ」
「……」
そんな事をリゾットが訊いてくる。どうしてだ。だって、これはまるで。
「オレは、幸せに…なりたい。だから、ウスターにいて欲しい。ウスターもそれで嬉しかったら、もっと、嬉しい」
昨日見た甘い夢の、再来。
「……なんで、あんたが」
「なんでだって?」
かろうじて口にしたウスターに、座っていた石からひょいと飛び降りてリゾットがウスターに近づく。見上げる姿勢からのきつい視線がウスターにぶつかる。
「まさか、何も覚えてないなんて言わないよな。昨日の事全部」
「き、昨日の…ま、まあある程度は覚えてるけど、でも」
「ある程度じゃ困る。ちゃんと全部思い出せ。さあ、お前は何をした?オレに何て言った」
「い、いやあの、その」
言い淀むウスターの態度に、ふうとリゾットが溜め息を吐く。ウスターを抱きしめるようにして彼の胸元に顔を埋め、少し照れた様子でウスターに告げた。
「好きだって、言ったろ」
目の前の現実。とても穏やかで懐かしく感じる彼の温もり。
「…………ん」
「キスだって…した」
「……ん」
頷いて受け入れるごとに、夢が現実へと生まれ変わってゆく。
「オレは」
彼の全てを信じていいのだと気づいた。
「ウスターが好きだ」
自分の全てを赦してくれる人がここにいると分かった。
「オレも」
伝えるべき言葉を口にしようとしたウスターの目の前で、リゾットの表情が変わる。それと同時に、耳に冷たい感覚が触れたのにウスターが気づいて空を見上げた。快晴だったはずの空にいつの間にか黒い雲が現れていた。やがて作りかけの庭に細い雨が降り始める。
「さっきまで晴れてたのに」
「多分通り雨だ。待ってりゃすぐ晴れる」
「そうだな」
草木にとっては恵みの雨。二人はちょうど屋根のようになっている牢屋跡の柱の下で身体を寄せ合い、雲が通り過ぎるのを待った。
「昨日も雨、今日も雨か」
ウスターの言葉に、リゾットがウスターと手を繋いでぽつりと言う。
「まさか、こんな事になるなんて思ってなかった」
「オレだってそうだよ」
たった一日、正確な時間にすれば一日すら経っていないその出来事を遥か昔の事のように思い出しながらウスターは呟く。急変しすぎた時間の経過は全て夢ではないか、とさえ思う。今でも。けれどその中でずっと抱き続けたのは確かな胸の痛み。
「あんたの事、好きになんかなっちゃいけないって、思った」
ウスターの言葉に反論する代わりに、リゾットが繋いだ手に力を込めた。
「大丈夫だ。もう離さねえ。…あんた、オレを連れて帰ってきてくれたもんな。あんな雨なのに、重かっただろうによ。どこまで優しいんだか」
何が自分達をここまで変えたのだろう。そう思いながら、降り止まない雨の中ウスターはひざまづくように身を屈めてリゾットの表情を確かめた。
「ウスターと離れたくなかったんだ」
「仲間として?」
「…多分、その時はそうだった、けど」
自分の胸ほどの高さになったウスターの頭を抱えながらリゾットが言う。
「もう駄目だ。ウスターがいい。ウスターしかいない…」
「ん。オレも」
何を訊ねる事も、もうやめよう。
不安も弱さも全部投げ捨てて生きていこう。
この腕の中の幸せだけ確かめられるなら、何も要らない。
「あんたが好きだ。ずっと傍にいる…これからずっと」
ひたすら不器用に距離を作ろうとした猫の顔には晴れ晴れとした笑顔。
雨の中猫を背負って城まで帰った王子様の顔には限りなく優しい微笑み。
さあさあと音を立てる霧雨の中立ち上がり、力の限りに抱きしめたリゾットの唇をウスターが唇で塞いだ。

やがて雨はやみゆき、太陽の光には露を乗せた葉が輝きだす。
そして掴み取った希望に満ちた、幸せな二人の姿も。

王子様と猫の恋物語のはじまり。


END