Rain 8(ウスター×リゾット)



「もう逃げないし。仲間としてこれからもちゃんとやってく。時々、グランシェフにも顔出すしさ。それならいいだろ?」
普段の口調で語りかけたウスターにリゾットが視線を合わせる。
「大丈夫だって。あんたがもし、オレを必要としたらすぐに駆けつける。…まあ、オレなんかよりコロッケやフォンドヴォーの方が頼りにはなるかもしれねえけど。
 だからさ、これからも…仲良くやってこうぜ。な」
自らそう提案したからには、この約束は絶対に守ってみせる。リゾットが自分を失いたくないと思ってくれるのなら、せめてその思いには全力で応えたいと思う。ウスターは握手のための手を差し出した。
「………」
大きな白い手をじっと見つめるリゾット。だが、それだけ。
(あ、あれ?)
自分の手を取ろうとしないリゾットをウスターが凝視する。これならリゾットに無理をさせることもないと思っての譲歩だったのに、どうして彼はそれを受け入れないのだろう。王子様は視線を逸らし、俯いて黙ってしまったままだ。行き場のない手を膝の上に下ろし、ウスターは所在無く視線を彷徨わせた。
「……何で」
小さく呟いてリゾットが顔を上げる。揺らいだ銀髪が薄く月明かりを跳ね返し、ウスターを見つめる視線に儚さを宿す。あまりにも切なげなその眼差しは何かを問おうと、ただ真っ直ぐにウスターだけを見ている。普段のリゾットが決して見せた事のない表情に、ウスターの呼吸が一瞬止まる。
「どうして…」
囁きと共に、リゾットが一度遠ざけた身体を再びウスターに近づける。上半身を起こした姿勢のウスターに音も立てないほど静かに近づき、身体を乗り出してウスターの胸元に顔を埋めた。
「逃げるんだ…そんな風に」
きゅ、とウスターのシャツを掴み、リゾットは呼吸を止めてウスターに強く身体を押し付けた。リゾットの接近によって速さを増したウスターの心音がリゾットの耳に届く。今度は両腕をウスターの背中に回し、抱きついた姿勢からリゾットがウスターを見上げた。
(う、うわ、うわ)
まるでキスでもねだるような姿勢でこちらを見上げるリゾットの仕草に、ウスターは全身の毛がちりちりと逆立つのを感じた。素のリゾットの行動がこんなにも切なげで、それでいて蠱惑的だなんて思いもしなかった。駆け引きのためにこんな風に振舞う事なんて、リゾットは知らないに決まっている。
「なんで、オレを見てくれないんだ?…オレを信じられないから?」
「え…いや、それ…は、そうじゃなくて」
ウスターの肩口に顔を寄せ、独り言のようにリゾットが言った。
「オレがいれば、ウスターは幸せになるかもしれないって思った。好きだって言ってくれた人を、オレが幸せに出来るかもしれないって」
嬉しそうな呟き。
「それが分かって…すごく…嬉しかったのに」
だが、一呼吸の後にリゾットが発した声は再び静かな悲しみを帯びていた。自分を求めたはずの相手に拒絶されたさびしさ。こんなに近くにいても、何一つ叶わないくやしさ。叶える事を、ウスターが許してくれない。これ以上近寄らないでくれと、仲間の彼がリゾットに言う。
「…リゾット…」
「目の前の一人幸せに出来ないで、何が王子だ…」
動けないウスターの胸に顔を埋め、リゾットが肩を震わせる。どうしてこんなに苦しいのか、その理由をリゾットはまだはっきりとは感じ取っていない。言い様のないさびしさとくやしさをどうすることも出来なくて、今はただウスターにしがみついているしかなかった。
ただ、ウスターにしがみついていたかった。
「あんたを信じられないんじゃ、ない」
頭を撫でる手の温かさにリゾットが顔を上げる。
「オレが一番信じられないのは、オレ自身だ」
そう告げた黒の瞳にはリゾットが映り込んでいる。寂しそうな眼差しが、心優しい王子様を見つめていた。
「オレがあんたと釣り合う存在だなんてのも信じられないし、オレにあんたを幸せに出来るとも思えない。
 分かってたんだよ、最初から。だから本当…言うべきじゃなかったのにな…
 ごめん。あんたを困らせた。余計な事考えさせた…」
本当は抱きしめてしまいたい小さな肩にそっと手を沿え、ウスターが静かに口を引き結ぶ。それぞれ別の道に迷い込んだ二人は、交わす言葉もなく部屋に満ちる静寂に身を委ねていた。
小さく聞こえる、壁の時計の秒針が進む音。それよりも確かに響くのは、触れ合った互いの心臓の鼓動。騒がしい仲間達の中では決してありえなかった距離が、相手の存在をただ確かに、静かに与え続ける。
これは束の間の安らぎ、なのだろうか。
「…なあ、リゾット」
「ウスター」
そして不思議なことに、二人が再び口を開いたタイミングは同時だった。
「ぁ、あ?何だよ」
「ん…その」
「いいよ。先に言えって」
ウスターが会話の切り口をリゾットに譲る。それが、二人の全てを変える事になるなど考えもせず。
「…オレは」
ウスターの手を強く握り締め、大きく息を吸い込んだリゾットが言い放つ。
「ウスターが、好きだ」
「………え?」
「…………」
無言のまま、リゾットはウスターの手を握り続ける。逃げるなというように。離さないでくれというように。
「リ、リゾット、あのな」
言葉で制止しようとしたウスターの首にリゾットの両腕が回る。
「離れたくない」
「だ、だっ…だからっ、オレはっ」
「仲間じゃ、嫌だ」
リゾットの体重がゆっくりとウスターに預けられる。
「嘘なんか言ってない」
淡々と伝えられる気持ちの全ては、ただウスターを捉えるために。
「オレがいても、ウスターは幸せにならない…?」
リゾットが自ら導き出した答え。大好きなひとが、自分を求めて投げかけることば。
「………………」
完全に返す言葉を失ったウスターは、ただ目を瞬かせて口をぱくぱくとさせるばかり。腕の中の王子様は
これ以上なく真っ直ぐな眼差しをウスターにぶつけている。
(何で、何で、何でこんな)
ただ純粋な感情だけをぶつけてきたリゾットに、どんな答えを返せばいいというのか。再び爪を振るう事は完全な決別のみを意味した。流石にここまできてその選択をする事は、男として人として大切なものを全て捨て去るに等しい。
願った幸せがこんなにも近くに在って。
彼が自分を求めているという、現実。
ウスターの全身からくたりと力が抜ける。リゾットの肩に力なく顔を埋め、呻き声を上げるかの如くに呟いた。
「マジかよ…」
「…マジだよ」
拗ねたような返事。
「本気で言ってんのか?」
「当たり前だ」
「お前、それでいいのかよ」
「くどい。これ以上言わせるな」
「別に…仲間としてだって、まだやってけるぜ?」
「だから、それじゃ嫌だって言ってるだろ」
「どうして」
「だから…!オレは」
苛立った声は小さくなり、微かに照れを残した響きに変わる。
「ウスターが…好きだ、から」
「……………そっか」
大きな溜め息と共に、再びウスターが沈黙する。
「まだ聞いてないぞ…お前の答え」
散々聞いておきながら自分からは語らないウスターに焦れたか、リゾットが黒い毛に覆われたウスターの耳を軽く引っ張った。
「ん」
短い返事。大きな手がリゾットの頭と肩を抱え込み、かつてない力でリゾットの身体を抱き寄せた。
「うわ…」
「何で、こんな事になったんだろうなあ」
諦めたような明るい声は震えていて。
「……嬉しいよ」
切れ切れに言うのが精一杯な響きは、もう少しで泣き出しそうで。
「あんたがいてくれたら……オレは、幸せだよ」
腕の中に力の限りにリゾットを抱き込んで、ウスターはぎりりと歯を噛み締めた。
「好きだ、リゾット」
「…ウスター…!」
「好きだ。好きだ。あんたしか見えねえよ、もう何もいらねえ…ちくしょう、好きだ…ッ」
呼吸も忘れ、二人は互いの身体を抱き締めあう。視線が交差すると同時にどちらからともなく唇を重ねた。初めて触れる柔らかさとぬくもりを逃すまいと、掠め取るキスが何度も何度も繰り返される。
「ん…」
息を継ぐ間に漏れる甘い吐息に、更なるキスが重ねられた。
「……もう、戻れねえぞ」
呼吸を整え、ようやく落ち着いたところでウスターが呟いた。
「まだどこかへ引き返すつもりか?」
返されたリゾットの声には、この先に何かを期待する余裕さえ含まれていた。
「ンなねえけど。……ここまで来ちまったんだからな」
白い手でそっとリゾットの頬を包むと、静かに手を添えてリゾットが微笑む。
「ウスター」
「ん」
「…好きだ」
「ああ」
リゾットの額に口付けてウスターが笑う。
「有難うな」
「ん」
リゾットの微笑みが、ウスターの中で止まっていた時間を満たしてゆく。手にしたこの幸せの対価など、二人ならどうにでもなるような気さえした。
「寝るか…」
「そうだな」
身体を横たえたウスターの隣に、当たり前のようにリゾットが並ぶ。リゾットが潜り込んでくるのを受け止めるようにウスターが腕を差し出し、腕枕される姿勢でリゾットがウスターの腕に収まった。
「なあ、ここがダブルベッドなのってさ、絶対確信犯だろ?」
「え?」
「夜這いかける気マンマンだったんじゃないか、リゾット」
「べ、別にそれは…ただの偶然で」
「本当かぁ?」
「本当だっ」
「どうだろうなあ」
くっくっとウスターが声を殺して笑う。リゾットが反論しかけたが、静かに頭を撫でられた事で継がれるはずの言葉は封じられた。
「好きだぜ。王子様」
ようやく口にできた素直な気持ちを愛しい人に囁きかける。返事の代わりには優しいキスが与えられた。
大切なぬくもりを腕にまどろむうちにやがて瞼は閉じ、二人は満ち足りた気持ちで夢へと堕ちていった。