Rain 7(ウスター×リゾット)



「…………あ?」
かろうじて声のトーンは低く保ったものの、ウスターが返した返事は相応に気の抜けたものだった。
「答えてくれ」
ベッドの縁に腰掛ける姿勢から、身体を傾けてウスターに視線を向けるリゾット。薄明かりが縁取った身体の輪郭はいつも以上に細く見えた。
「……いや。その。ちょっと…待て」
ウスターの左手は頭痛を堪えるように頭を押さえ、右手は所在投げに指先でぐるぐると繰り返し円を描いていた。深く額に皺を刻み、ひとしきり捻った首の角度をようやく元に戻すと、両手をベッドについてリゾットを覗き込む姿勢からウスターが尋ね返す。
「おま……さ。さっき、何つった?」
「…だから。オレが…もし」
一瞬視線を外し、大きく息を吸うのと同時にウスターに向き直ると、リゾットははっきりと口にする。
「ウスターを好きになったら、ウスターは、どうする」
「……はぁぁぁぁぁ??」
黒い瞳をますます大きく見開き、身体の重心を後ろに傾け、ウスターが呆れたような声を上げた。
「そ、そんな言い方しなくたって、いいじゃないかっ」
ウスターは素で驚きを表現しただけなのだが、彼の反応に小馬鹿にされたと思ったのだろう、リゾットが苛立ちと反論の声を上げて身体を乗り出す。その声にもまだ微かに照れが残っている事に、ウスターは気づかない。
「い、いや、だってよ。お前、いくら嘘をつくにしたってさ、もうちょっと上手いつき方ってもんが…」
「こんな所で嘘なんかついてどうするって言うんだ!オレは本気で…」
「ふぇ?」
「おまっ…お前の事、好きにな…なり…なりたいって、思っ…だから、ここに来たんだぞ!?
 ウスターが…オレを、好きだなんて言うから…だから、ずっと考えてっ…」
いちいちちゃんと説明しなくてはいけない状況の恥ずかしさに、微かな月光に照らされたリゾットの顔が紅潮してゆく。これ以上の言葉は紡げなくなったか、俯いてベッドに視線を落とした。
(な、何なんだってんだ?リゾットが、オレを…?好きになるだって?)
リゾットがこちらを手放すまいとしているのは分かっていた。どうにかして仲間のまま、これからも一緒にいるために話をしようとここにやってきたのだろうと思っていた。だからいきなり好きだなどと言われても実感が湧くどころの話ではない。そもそもそれはウスターの中で、一番最初に消した可能性。
正確に言えば、リゾットはまだウスターを好きではないはず。好きになりたい、なれるかもしれないという未来の可能性を提示したに過ぎない。リゾットなりに考えての行動だったのだろうが、その答えは逆にウスターの気持ちを冷静にさせた。
(…やっぱり、無茶だ。こんな事させていいはずがねえ)
好きになろうとしてくれる気持ちこそ嬉しいけれど、勝手にリゾットを好きになってしまった自分の我が侭にリゾットを巻き込む事はしたくない。そして、自分が彼を側に惹きつけておけるような器でない事だって痛いほど分かっているのだ。
いつか愛想を尽かされるのが怖い。始まりがなければ終わりだって来ない。だから、ウスターは拒絶の糸口を探している。
「そんな…出来もしない事、軽々しく口にすんなよ」
好きになるだなんて、そんな夢みたいな事。
「やってみなきゃ分からないだろ」
ウスターの言葉に、顔を上げたリゾットが反論する。
「やらなくたって分かるさ。自分の事だからな」
「……いつまで逃げるつもりだ。ウスター」
低く吐き出された声音に怒りが滲む。敵を威圧するかのような口調で、リゾットが言い放った。
「逃げて、逃げて、自分に都合のいい道へ進むつもりか?お前がオレを好きだって言った、だからオレにはそれに答える義務と権利があるんだ。それなのに、そっちが逃げたんじゃ答えも出やしない!
 お前はどうなんだ、ウスター!逃げてばかりいないで、ちゃんと、オレの質問に…答えろ!!」
「!!」
雨の中、ウスターの告白によって二人の間には長い静寂が漂った。その情景を繰り返すように、闇に満たされた部屋にリゾットの告白が静寂を作り出す。リゾットはただ、ウスターからの返事を待ち続けた。ウスターが逃げている事を指摘してしまったのは辛かったけれど、彼から返事をもらうにはその逃げ道を断つしかないと思ったから。
「…なんでだよ」
ぽつりと聞こえたのは、抑揚のないウスターの声。
「なんで、リゾット…あんたが、オレなんか、好きになるんだよ?」
ウスターの言葉に、リゾットが生真面目な口調で問い返した。
「いけないのか。オレが、ウスターを好きになったら、駄目なのか」
「駄目も何も…どうやって好きになるんだよ、こんな奴。三流バンカーで、いいとこなしで、あんたにかなう事なんてひとつもなくて。オレなんか好きになって、あんたに何の得がある?オレが何の役に立つ?あんたは一流のバンカーでグランシェフの王子だ、オレなんかがいなくたって生きていける。傍には大切にしてくれる人が沢山いる。好きになる理由も、価値も、これっぽっちもありゃしねえ…よ」
一気にまくしたてられた言葉の語尾は力なく沈んだ。ウスターが口にした全ては事実で、リゾットを好きになった瞬間に悟った自分の価値そのもの。釣り合わない存在に王子様の気持ちを傾ける事はさせたくなかった―――耐えかねて告白してしまったが故に、結局その願いは叶わなかったが。これ以上の価値を自分自身に見出す事なんて、ウスターにはどうあがいても不可能だった。好きになってしまった相手が、あまりにも色々なものを持っている人だったから。彼の境遇が羨ましいのではなく、彼を思う度に自分をみすぼらしく感じてしまうこの心そのものから、ウスターは逃げたかった。
「……欲しいのか。理由なんて」
真っ直ぐにウスターを見据える赤の瞳が、闇の中で瞬いた。
「理由とか、価値とか…誰かを好きになるのに、なきゃいけないのか?」
純粋に疑問を投げかける意思の強さが、ウスターを捉えて離さない。
「それは…」
「じゃあ、ウスターは、どうしてオレを好きになった。好きだって言った?
 オレが王子だから?バンカーだから?…そうじゃないんだろ?」
「………」
「だったら、オレがウスターを好きになったって、おかしくなんかな…」
「駄目だ、駄目だ、あんたは駄目だ。これ以上その話はしちゃまずいんだっ」
あまりにも急な話の展開に、ウスターが強制的にストップをかける。
「どうして!ウスターはオレを好きだって言ったのに、なんでオレが言っちゃダメなんだ!?」
「だから、あんたは王子様だろっ!?男の恋人作るなんておかしいと思わないのかよ!?オレとあんたじゃ立場が違いすぎるんだよ!!」
ウスターを拒絶に走らせているのは恐怖と自制心。恋愛に聡くないリゾットが自分を好きだと言っているその感情は恋愛の『好き』ではなく、ウスターを失いたくないが故の衝動的な発言だと思ったからだ。たとえその次元の好きであっても、受け入れてしまったらもうそこからは抜け出せなくなる事をウスターは直感で悟っていた。いつかリゾットがその間違いに気づいてウスターを手放してしまったら、苦しみを引きずるのはウスター本人に他ならない。
「じゃあ、オレがグランシェフの王子じゃなければ良かったのか?そうすればウスターはオレに、もっと早く好きだって言え…」
「ンなありえない事言ったって仕方ないだろうが!とにかく、駄目つったら駄目なんだ!!」
「そんな駄目だ駄目だ言うんなら、どうして好きだなんて言ったんだ!?」
「追いかけてきたのはそっちだろーが!!誰のせいだよ!?」
「本…っ当、自分勝手な奴だな、お前!!こっちがどれだけ振り回されてると思…」
「人の布団に夜這いに来るような奴に言われたかねーな!!こっちは好きになってくれなんて頼んだ覚えねえよ!!」
「!!」
大声での言い合いはリゾットが息を呑んだ事で遮られた。ぜえぜえと肩を上下させる二人の間には妙な緊迫感が保たれたままだ。だが、今の怒鳴りあいによってリゾットをまた傷つけてしまった事に、ウスターはぎりりと歯噛みした。
(…言っちまった。ああ、本当何やってんだ、オレ)
自分が逃げている事は全て棚上げにして、向かい合ってくれるリゾットの努力をふいにするような物言いをして。彼を振り回したのは自分なのに、どこまで自分に都合のいい言葉を並べ立てれば気が済むのか。目の前のリゾットはまたベッドへと視線を向けたまま、肩をちぢこめてしまっている。傷つけたくないのに、彼がこちらに距離を詰めれば詰めるほど、鋭い爪を振るわざるを得ない現状。
終わらせなくては。せめて、それだけでも。
「…悪かったよ。好きだなんて言っちまったのも、逃げたのも、全部オレの責任だ。謝る」
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはウスター。恋い慕う相手に向けられた瞳は、先ほどまでと変わらない諦めに染まっていた。
「ごめんな。勝手に好きだなんて言ったくせにな。あんたに嫌な思いさせるばっかりで、それ以外の事なんてこれっぽっちもできやしねえ」
幸せにもなれない道へなんて、踏み出させるわけにはいかないから。
「だから、忘れてくれ。オレが言った事全部。叶えようなんて、あんたはしなくていいんだ」
「ウスター…」
「ありがとな。嬉しいよ」
そっと王子様の頭を撫でて感謝を伝える。
「だから、これからも、仲間でいい」
嫌われたらそれまでだろうが、彼が自分の存在を望むのなら、いつまでだって演じきってやる。彼のために。
不器用な猫は夜闇の中で、微笑った。