Rain 6(ウスター×リゾット)



反射的に開いていた右手で口を塞ぎ、同時に息も止めてウスターは全身を硬直させた。想像を凌駕した眼前の状況に全力で叫んでしまったが、こんな大声を上げてはリゾットが起きてしまう。そう思って口を閉ざしてみたが、そうした所で意味はないのだと数秒の後に気づく。
だが、あれだけの大声を上げたにも関わらず、ウスターの腕の中でリゾットは変わらぬ寝息を立てていた。よっぽど深く眠っているのだとしても、あのリゾットが目を覚まさないなんて。
(いや、真横であんな大声出されて、リゾットがまだ寝てるなんてのは…)
これが夢だからだ、という結論がウスターの脳内で導き出される。あまりにも自分に都合のいい夢を見ているのに違いない。そう考えれば、このおかしな状況にも合点がいく気がした。
ウスターの肩口に身体を預け、無防備にな寝顔を晒すリゾット。夢だと思うにはあまりにリアルな温もり。あたたかさを確かめるように左腕で彼の身体を抱き寄せると、思ったよりも柔らかな肌の感触にウスターの鼓動はさらに早さを増して高鳴る。耳にまで響く、自分の血がドクドクと駆け巡る音。これも全て夢だと言うのか。確かめなければ、そう思ったウスターの右手が彼の頬に伸びた。
「痛ってっ!」
頬の毛をつまんで引き抜くと、そこには確かな痛みが走った。夢ではない。頬をさすりながら、ウスターはまじまじとリゾットの寝顔を覗き込んだ。
「夢じゃねえ。どうなってんだよ、一体」
左足をやられ、ろくに動くことも出来ずに布団に就いた。リゾットはこの部屋には来たけれど、ウスターが追い返したのだから彼がここにいようはずもない。なのに目の前には王子様の姿。ウスターが身体を自由に動かせない現状から考えられる事と言えば、夜中にリゾットが自分の意思でここまでやってきたという可能性になるわけだが。
「それって、夜這いって言うんじゃねえのか?」
寝ている間の自分の行動にまで責任は持てないが、少なくともリゾットをベッドに誘った覚えはない。むしろ遠ざけようとしていたのだ。となれば、これはリゾットの行動によるものという事になる。
まだ解決しきってはいない、互いの間に生まれた錯綜した感情。時間に任せてゆっくり忘れようとするウスターと、あくまでも真正面からぶつかって事の解決を試みる姿勢のリゾット。遠ざけられてなお、ウスターの部屋への来訪をリゾットが試みたのだとしたら、その決断力と行動力は賞賛に値する、かもしれないけれど。
「警戒とかしないのかよ…夜だぞ?何があってもおかしくないんだぞ?なあ、王子様よ」
ウスターを信頼しているからこそ、リゾットはここへ来てベッドに潜り込むことが出来たのかもしれない。清々しいほどの無防備な寝顔がそれを物語っているかのようだ。ギブスに包まれた左足に寄り添うように、ウスターの隣で眠るリゾット。ダブルベッドのおかげで互いの身体がはみ出るような事はないが、それにしてもこんなに密着する必要はないだろうにとウスターは胸の内でぼやいた。例の話がしたいのなら、すぐにウスターを起こせばいいはず。
「なあ。どうすりゃいいんだよ、オレは」
いつまでこの時間が続くのだろう。そして、自分はどうしたらいいのか。どうすべきなのか。リゾットはどうしたいのか。全ての答えをウスターに委ねるかのようなリゾットに、細く息を吐き出しながらウスターが呟く。
目の前には愛しい人の寝顔。遠ざけようとした存在は、自分を二歩も三歩も凌ぐ行動力で容赦なくこちらに接近してくる。こんな風に近づかれたら、いつまた彼を傷つけてしまうかも分からないのに。その危険性に気づいていない彼の幼さに甘えてしまえたら、と願うずるい大人の考えにウスターがきつく目を閉じて頭を振った。
あと少し身体を傾ければ、唇を重ねる事だって、それ以上の事だって出来てしまう。
望まないと言えば嘘になる。本当は欲しくて欲しくて堪らない、たった一人のひと。
自分の隣で、この腕の中で笑ってくれたら、と一瞬だけ願った事もあった。でも、それは叶えてはいけない事だと分かっていたから、可能性にすがって挑む事をしなかった。
自分の我が侭なんかで、この人の綺麗な心に踏み込んでいいはずがないと思った。なのに、どうして。
「あんた、オレの手を離してくれないんだよ…」
そっとリゾットの細い手を掴む。ゴミの山からウスターを助け出した指先には沢山の傷跡。彼の思いの深さを垣間見るようで、ウスターはその指先にそっと口付けた。敬愛のキスを施すように。
「…駄目だ。やっぱ、好きだよ。リゾット、あんたの事…」
伝わり続けるぬくもりに、塞いだはずの想いがきしみ始める。両の腕で王子様の肩を抱きしめる。銀の髪に頬を寄せ、今まで許されなかった距離でのリゾットを全身で確かめた。こんなにも細くて小さな身体のどこに、あれだけの強さが宿っているのだろう。その強さで、今度はこちらの心までも打ち砕こうというのか。踏み込む勇気の代償は、一生消えない心の傷になるかもしれないのに。
「こんな無防備にしてたら…オレだって…どうなるか分かんねえんだぞ?」
ウスターの気持ちを解する者も、彼の行動を止める者もこの場にはいない。苦しげに口にしたウスターの手がリゾットの頬をそっと包み込む。膨れ上がる感情のせいか、喉がからからに渇く感覚に襲われる。まるでその飢えを満たそうとするかのように、ウスターは相手の顔を引き寄せ、目を閉じてゆっくり、ゆっくりと互いの距離を詰めていく。指で触れたリゾットの唇は甘さに満ちた果実のように柔らかかった。
今なら。
このままほんの少しだけ、引き寄せてさえしまえば。
「………ッ…!」
最後まで無抵抗なリゾットを、力の限りに抱きしめて。
そうそうない経験に、余計なくらいに呼吸を止めて。
最大限の至近距離でウスターはごくりと唾を飲み込み、そして。
「………………っはぁぁぁぁぁっ!!」
肺の奥底から詰めた息を吐き出しながら、リゾットの肩にウスターは顔を埋めた。最後の一筋の良心と言うか自制心と言うか、ともかくウスターの意思が欲求を押さえつける事に成功したのだった。
「違うって。こんなんじゃない、オレは…オレはっ」
据え膳食わぬは何とやらだが、それは決してリゾットの同意があっての事ではない。そもそも、自分と彼とでは想いの丈も考え方も違うのだ。こんな風に距離を詰めたって、リゾットが喜ぶはずはない。かと言って、リゾットが望むような『いい仲間』のウスターにもなれない。それでも、こちらの気持ちをこれ以上一方的にぶつけるような我が侭だけはしたくなかった。たとえそれが、どれだけ素直な欲求であったとしても。
「こうなったら、ちっと痛い目見てもらうぞ」
あと数センチまで近づけた顔を引き離し、リゾットの肩に回していた左腕を引き抜く。身体をずらして気持ち程度に距離を確保すると、リゾットの頬をウスターは手の甲で軽く叩いた。
「……ん…」
「ほれ、起きろ。王子様」
続けてぺつん、ぺつんとリゾットの頬を叩く。眠そうに目をこすりながらウスターに向かって起き上がったリゾットに、ウスターは不機嫌そうな声で―――そんな声を精一杯に作って―――尋ねた。
「これは一体どういう事だ?リゾット」
「…ウスター?」
「ウスター?じゃねえだろが、お前。
 勝手に人の布団潜り込んで、何するつもりだったんだ」
声のトーンを低く保ち、大人の威圧で接してくるウスターにリゾットが小さく首を竦めて返した。
「ごめ…ん。ウスターと…話がしたくて」
「それで夜中に人の部屋に夜這いか。いい度胸だな。
 こっちは怪我してるから休ませてくれって言ったよな?」
「…………ごめん」
わざときつい物言いで接する事でリゾットの良心に攻め入るウスター。本当はこんな言い方はしたくないけれど、あれだけ気持ちを揺るがされたのだからと自分に言い聞かせ、ウスターはとどめにと言い放った。
「戻れよ、お前の部屋。オレは話なんか聞くつもりねえ。いられても迷惑だ」
「でも…!」
「どこまでオレを振り回すつもりだ?もう関係ねえって言ってるだろ!
 オレが明日ここを出たらそれで全部、終わるんだよ!」
「……!」
明確に突きつけられたウスターの答えにリゾットが言葉を失う。頑としてリゾットの言葉を受け入れようとしないウスターからは、光の少ない闇の中でも感じ取れるほどの敵対的な意思が放たれていた。その気迫に気押され、リゾットが身体を翻してベッドから静かに出ようとした。
「…ウスター」
だが、あと一歩の所でリゾットがウスターの名を呼ぶ。
「………何だよ」
向こうを向いた小さな背中から聞こえる張り詰めた声に、ウスターは小さく返した。
「もしも……もしも、オレが」
ウスターの方を振り返らぬままに続けられた声は、微かに震えていた。
「…………お前の事を………好きだって言ったら、どうする?」