Rain 5(ウスター×リゾット)



「ぶくぶくぶくぶくぶく」
浴槽に顔半分をつけたままウスターが喋る度、言葉の数だけ泡が浮かぶ。
「ぶくぶくぶくぶくぶく」
夜のグランシェフ城内浴場に入浴者の姿はなく、ウスター一人の貸し切り状態。
「ぶくぶくぶくぶくぶく」
誰に聞かれる事もなく、彼の愚痴は無人の浴槽に溶けて消えた。

「どうしたんだ、ウスター!?」
リゾットに背負われ、グランシェフ城に連れ帰られたウスター。彼の左足の負傷を仲間の皆が心配し、医者に診てもらえと口々に言った。
ウスター自身は大したもんじゃないからと言い張ったものの、リゾットが彼の責任でこうなったことを強く主張したので―――もちろん、二人の間に起こった事の詳細は伏せての説明だったが―――やはりここでもウスターが折れ、診察を受ける事となった。
そして、ゴミの山に墜落して傷めた左足の骨折が相応に酷いものだとウスターは医者に告げられる。その場ですぐ足を固定されギブスをつけられ、その結果入浴している現在も左足は上げた状態という、誰かが見ていたらそれなりに間抜けな姿勢だったりする。
「まったくよー…クールが売りのウスター様が、なんてザマだよ」
浴槽から顔を引き上げ、身体を風呂の縁にもたせかけてウスターがぼやいた。
こんな目に遭う事になるなんて、一日前には想像だにしていなかった。足の怪我の事も、その原因となった己の心の変化の事も。半日も経っていない時間の間に、あまりにも多くの事が変わりすぎた。正直、ウスター自身もこれからどうしたらよいのかなど全く見当もついていない。
次第にぬるくなってきた湯船に身体を再び沈め、上げたままの足を気遣いながらウスターは目を細めた。
リゾットを好きになってしまった。そしてそれが叶わないことだという事実は最初から分かっている。そこで諦められれば良かったのに、どうしてこんな事になってしまったのか。
振る舞いはあくまでスマートにをモットーに、格好いい男を目指していたはず。なのに、そのポリシーもあの王子様の前に脆くも崩れた。今日の一連の行動のなんと無様な事か。してもし足りないダメ出しとツッコミを、ウスターは心の中で延々と繰り返す。
(だって…知らなかったんだって。こんなに厄介なもんだなんてよ)
初めて胸の内に宿った本気の恋心。
気づかぬふりをする事も、見逃す事も、押さえ込む事すらも出来やしなかった。
今もまだウスターに訴え続けるその感情はどんな結末を望んでいるのか。それが皆目分からない。
(好きだけどよ…でも、それだけじゃどうにもならない。分かってるんだよ、だから)
リゾットに伝えてしまった気持ち。揺れ動いた王子様の心。それでも精一杯の正義感と友情で、彼はウスターを城へと連れ帰ってきてくれた。でも、これ以上は彼に望む事なんてない。望めば、リゾットを傷つけることになってしまう。
ありえないはずの恋心。その相手は一国の王子。三流バンカーが傍にいられるような相手ではないのだ。それでも、リゾットはこちらに手を伸ばそうとするのだろう。仲間としてのウスターを大切に思うが故に。恋愛のいろはも知らない彼にこんな事を経験させるのはあまりにも酷だとウスターは思った。テトやポーのような可愛い女の子と一緒の方がそもそもお似合いだし、リゾットも幸せになるだろうに。
長い時間こんな考えを巡らせていたせいで、上げたままの左足が疲れてきた。ギブスを濡らさないように浴槽の縁に引っ掛けつつ、風呂の天井を仰いでウスターは大きく溜め息を吐く。
明日からそれぞれ別々の旅路にという予定だったのに、こんな足では出発できないどころかリゾットに治るまで城にいろと言われるに違いない。これ以上彼の世話になるなんて事だけはしたくないのに。
「あーもう、とにかく明日はここを出るぞ!こんなとこに厄介になってられるかっ」
重量の増した左足に重心をかけないように気を使いながら浴槽から身体を引き上げ、ウスターはタオルを求めて浴場を出た。

薄手の寝間着になんとかギブスの足を通し、ゆっくりと左足を引きずりながら城内を行く。痛みそのものは薬で緩和されているものの左足に重心がかけられないため、自然と移動速度は遅くなる。
そんなウスターを気遣ってだろう、ウスターが風呂に入っている間にリゾットが今夜寝るための部屋を城の入り口近くの部屋へと変更させていた。先に泊まっていた部屋は階段を上がってまだ奥の方にあったので、そこに比べれば非常に有り難くはある。
(気遣いは嬉しいんだけどよ…オレの自己責任、なのになあ)
遠ざけたかったはずのリゾットに色々と世話になってしまっている現状に小さく肩を落としながら、用意された部屋のドアをゆっくりと開いた。きちんと整えられた室内に、既にウスター愛用のバンクがベッドの脇に運ばれている。だが、そのベッドの大きさがウスターの目を引く。どう見てもダブルベッドの大きさだ。シングルベッドの部屋で風呂場から近い部屋がなかったのかもしれない。
「まあいっか、身体伸ばして寝れるし」
勝手に納得し、一人で寝るには広いダブルベッドに身体を横たえて大きく深呼吸をするウスター。それと同時に彼の胃がグウと鳴り、しばし忘れていた空腹感を訴えた。
「そういや、医者だ何だつって何も食ってなかったっけ」
夕食の時間にちょうど医者にかかっていたウスターはそのまま風呂に直行したため、食事をとらずじまいだった。今からでも食堂に行けば何か食べるものはもらえるのかもしれない。だが、いかんせん足がこの状態ではそこまでする気にもなれない。
「いいや。今から寝て、明日食べりゃ」
左足をベッドへと引き上げ、布団を被る。と、そこで部屋の照明を消すのにまた戸口まで移動しなくてはいけないことに気づく。
「ああもー、面倒臭えなあ!足さえこんなになってなきゃ」
コン。コン。
ベッドの上で愚痴ったのと同時に、部屋のドアが小さく叩かれた。
「へ?あー、ど、どうぞ?」
突然のノックに、相手が誰かも確かめずウスターは入室を許可してしまっていた。
入ってきたのはリゾット。手には食事の乗ったトレイ。そっとドアを締めると、ウスターの横へとやってきた。
「え、な、何だよ…」
「夕食。食べてないだろう」
そう言って、リゾットがベッドから上半身を起こしたウスターの膝の上に食事を置く。ベッドの横へと椅子を引き寄せ腰掛けると、ウスターに視線で食べるよう促した。
「そ、そりゃそうだけどよ。
 …まあ、もらっとく。サンキュな」
「…ん」
ここでいらないなどとごねるのは流石に子供じみているし、空腹には逆らえない。フォークとナイフを手に取り、ウスターは遅めの夕食を口にし始める。ハーブとチキンのグリル、焼きたてのパンと新鮮なサラダ。野菜のコンソメスープからは湯気が上っている。ひょっとしたら、ウスターのためにリゾットが作らせたのかもしれない。
「あちっ」
猫舌なので、スープを食べられるようになるにはもう少し時間がかかりそうだが。
「大丈夫か」
「猫舌だからよ。もう少し冷まさないと」
ちびちびとスープ以外のものを口にするウスターの様子を、すぐ横でリゾットが見つめている。
「…皿、片付けるために待ってんのか」
食べているのをじっと見つめられるというのは誰であってもあまり落ち着かないもの。ウスターが食事の手を止めると、リゾットがはっとしたように顔を背けた。
「ん…いや、その」
「いいって。まだ時間かかるし、食い終わったらドアのとこに置いておくからさ。待ってなくても」
返答に一瞬戸惑ったリゾットに、少し冷たくウスターが言う。こんな風にじっと待たれているのは性に合わない。しかも、その相手がリゾットとなれば尚更。
勝手に好きになって、そのせいでこんな怪我をして、あんな風におかしな告白をした相手に傍にいられるなんて居心地が悪くて叶わない。しかもこの足だ、もう逃げることも出来ない。
この食事を届ける事を理由に、リゾットはあの時の事について話をしにきたのではないか。彼が入室してきた瞬間、ウスターはそう感じた。そうであるなら、その話題を相手に切り出させずに追い返すのみ。それぐらいしか、今のウスターには防衛手段がない。
「でも…」
「こっちゃ怪我人だぜ。医者にもかかったし、疲れてるんだ。早く寝たいんだけどな」
卑怯だと思いながら、怪我人である事を理由に一人になりたいとウスターは要求する。
「……分かった」
声音には微かに不満が滲んだが、リゾットは頷いて立ち上がる。戸口で一度だけウスターを振り返ると、静かにドアを閉めて部屋から出て行った。
「…ごめんよ」
逃げの一手になっているウスターの我が侭に頷いてくれた王子様に、視線を落としてウスターが小さく呟く。
程よく冷めたコンソメスープを口にするも、さっきよりも味気なく感じたのはスープが冷めすぎたせいではない気がした。
とりあえず腹を満たすと空になった食器を戸口へと運び、ついでに部屋の照明を消してウスターは再び布団に潜った。
多分、リゾットはまだウスターの告白を意識しているのだろう。本当はこちらが食事をしている間にでも、何か話をしたかったに違いない。どうしたらいいか考えるために、彼はウスターをグランシェフ城へと連れ帰ってきたのだから。
(これ以上なんて、どうにもならないだろ…オレなんかが相手じゃ)
今日一日で垣間見たリゾットの色々な表情がウスターの脳裏を巡る。彼の事を思い出す度、胸はまだ締め付けられて止まない。
優しい王子様は彼なりに答えを探そうとしているのだろう。大切な仲間であるウスターの心を少しでも満たせるような答えを。けれど、ウスターとしてはもうここで距離を置きたい。善意だと分かっていても、リゾットに気持ちを傾けさせるくらいならいっそ嫌われた方が楽でいい。
(いいんだ、リゾット。…あんたがオレの話を聞いてくれた、それだけで)
好きだという気持ちだけは嘘ではない。本物だから、それがここで終わってもその結果はちゃんと受け入れられる。多分、いつかは。
それでも、ウスター自身の中でも全てが明白になっているわけではなかった。リゾットの近くにいる間は、少なからず心が落ち着かないのも事実。今日起きた事を振り払うように、布団を被りなおしてウスターは身体を横たえた。
明日になったら何とかしてここから離れよう、そんな事を思いながら次第に眠りについた。

満たされる幸福。包まれる温もり。うとうととまどろむ間に己の体温で温まり行く布団の心地よさ。
疲労を抱えた身体を包む質のいい布団に頬ずりをし、ウスターは大きく息を吸い込む。腕の中の温もりを抱え直すと、夢の続きに身を任せる。
つもりだった。
「………?」
一度閉じたはずの瞼を薄く開き、首を巡らせる。灯りの落ちた部屋にはカーテンの隙間から微かに月明かりが差し込むのみで、物を見るには室内は暗過ぎる。だが、ウスターは猫だ。特有の暗視能力があるおかげで、日中とさほど変わらない視界を保つことが出来る。
食事を終えて布団に入ったのが確か十二時近く。目を細めて確認した時計の針は二時を回っている。室内の様子は就寝前と何ら変わったところはない。
むしろ、変わっているのは。
「ちょ、っ、待て…って」
ダブルベッドにギブスのついた左足を投げ出し、存分に身体を伸ばして寝ていた。多少の寝返りで身体を縮込めるくらいはするだろう。だが、いくらなんでも。
寝る前にこの場にいなかった人間を抱え込んでいるなんて事があるものだろうか。
闇の中でも分かる薄い色素の髪。多分、日の光の下では銀色に輝いているはず。その人物の細い肩を抱え込むようにして眠っていたらしい事実に、ウスターの心臓が突如として心拍数を上げ始めた。
「な、ななな、なっ、なんでっ」
所在なげに腕を動かしていると、腕枕される姿勢で眠っている人物がもぞもぞと身体を動かした。ウスターの肩口に顔を擦り付けると再び満足そうな寝息を立て始める。無論、彼はウスターの動揺など知るはずもない。
何故。どうして。
「リゾットが、オレの布団で寝てるんだよ――――ッ!?」
全身の身の毛を逆立たせたウスターの絶叫が部屋に響き渡った。