Rain 4(ウスター×リゾット)



音も立てぬほどの細い雨が二人を包み続ける。
「……」
例えがたい表情を整った顔に貼り付けたまま、リゾットは立ち尽くしていた。
ふくれっ面でゴミの山に再び身を投げ出したウスターから視線を反らすことも出来ないまま、
瞬きを繰り返しながら接ぐべき言葉を捜しているようだった。
「あぁーあ、言っちまったよもー…
 どうかしてるって思われるだけなのにさあ!
 もうこれで終わりだな。うん、全部終わりだ、あーあ……」
そんなリゾットの様子を気にかける事はせず、完全に自暴自棄モードに入ったウスターが
痛めた左足をゴミの山に埋もれさせたまま、自虐的な溜め息と共に身体を横に向けた。
「ウ…ウスター…?」
「…何だよ」
ようやく名を呼んだリゾットを不機嫌そうに一瞥し、すぐに目を閉じてしまう。
取り付く島のないウスターに、リゾットが少しだけ手を伸ばす。
だが、その手もすぐに引き戻され、二人の間には再び沈黙が横たわった。
「……」
「いいよ。笑うなら笑えって」
今までの迫力とはうって変わったリゾットの挙動に、ウスターが憮然とした返事を返す。
「そうじゃ…なくて」
「遠慮すんなよ。
 こんなワケわかんねぇ奴放って城帰ったって誰も文句なんか言わねえよ」
「……」
暗に『オレを放ってとっとと帰れ』とリゾットに告げてはいるものの、当の王子様は
それだけは選択するつもりはないらしい。
何度目かの沈黙。
その間も、街をけぶらす霧雨だけは絶えない。
「…本当…なのか?」
「何が」
唇を舐めて湿らせ、何度か呼吸を継いで後、ようやくリゾットは核心を口にする。
今までに考えた事も、誰に尋ねた事もない現象を言葉にして。
「オレを…す…好き、だって…」
「ンな下んねえ冗談のためにここまで走ったりしやしねーよ」
鷹揚に内容を肯定しつつも、ウスターの口調はまだ刺々しい。
「…ごめん」
そっと膝を折り、俯きながらリゾットが呟いた。
その姿を視界に捉えたウスターがようやく身体を起こし、リゾットに向き合う。
「んだよ。そっちが謝ることなんかないだろ」
「気付かなかった…全然」
一目で後悔と分かる表情を浮かべ、リゾットは膝の上で握った拳を凝視し続ける。
身体を近づけてきたウスターにはっと顔を上げたものの、視線が合った瞬間に
僅かに頬を染めて視線を反らしたリゾットの様子に、ウスターの口元が反射的に笑った。
(なんでこう、可愛い反応するかな、この王子様は)
惚れた者の弱みというのはこういうものなんだろう。
今こうして近くにいても、彼との己との距離は絶対的な差でしかない。
身分と、実力と、精神と、全てが違いすぎる二人。
それでも、こうしてここにいる彼の事が愛しくて仕方ないのだ。
己の心に素直になってしまえば胸の内にはその感情しか認められない。
手に入れる事はできない。敗北は目に見えている。
それでも、こんな甘美な時間が与えられた事を少しだけ感謝しながら、
ウスターはリゾットに精一杯向き合おうと口を開いた。
「普通気付くもんでもないし。
 オレだって…気付いたの、ついさっきだし」
「さっき?」
「さっきだよ」
「いつ」
「言わなきゃいけないのか」
「………オレは、聞きたい」
リゾットの返事に苦笑いを一つ。
「あんたがフォンドヴォーにプレゼント買ってた時だよ」
「?」
どうしてそれが気づくきっかけになるのか解せないと言いたげなリゾットの眼差し。
(そこまで説明しなきゃいけないのかね)
自身の事には鈍いという側面すらリゾットの魅力の一つなのかもしれないなどと思いつつ、
独白のようにウスターは語った。
「自分じゃ気付いてないんだろうけどな。
 すごいいい顔で笑ってた。リゾット」
「え」
突然の褒め言葉にリゾットの頬が再び染まる。
「それ見たらさ…なんか、頭殴られたみたいになって。
 他の誰かのために、リゾットがあんな顔するんだなあって」
吸い込む空気は雨のおかげで十分に潤っているはず。
なのに、こう口にするのに喉が苦しいのは何故なのだろう。
「しかもさ、それってただの、普通のプレゼントなのに…よ」
ちりりと胸が焦げ付く音が聞こえるようで、苦々しげにウスターが目を細める。
「そうだ。あのタイ、今持ってたりしないだろうな」
ふと思い出したように尋ねたウスターに、リゾットは首を振った。
「城に置いてきた」
「そっか。だったら、早く帰って渡してやれよ。フォンドヴォーに」
だが、その言葉にはさっきよりも大きくリゾットが首を横に振った。
「ウスターをこのままここに置いてなんていけない」
迷いのない眼差しと共に、その言葉はいつもの彼らしくはっきりと言い放たれる。
「やれやれ…
 まあ、あのプレゼントを台無しにしなかっただけマシとするか」
深呼吸をひとつ。
掌を見つめ、軽く握ったり開いたりしながらウスターはリゾットに説明を続ける。
「そんなどうしようもない嫉妬みたいなのに気付いちまって。
 リゾットもフォンドヴォーもこれっぽっちも悪くなんかない。
 悪いのは…醜くて弱っちいオレの心だ。みっともないワガママだ」
本当は見たくもない内面の欲求を曝け出すための過程。
まるでそれは心を刻んでは並べ、切り捨てていくかのような作業。
「そもそもあんたはこのグランシェフの王子でさ。強いバンカーでさ。
 本来オレなんかが一緒にいられる相手じゃないんだよ、な」
相手の目を見つめてはとても言えない言葉を、ようやくのことで搾り出す。
「…ましてや、んー……
 …恋仲、なんてさ。男同士で…絶対に」
「………」
リゾットは大きく目を見開いてウスターを凝視している。
ひとしきり歯を噛み締め、大きな溜め息を吐き出してウスターが顔を上げた。
小さく肩を竦め、いつもの調子に戻した声音で告げる。
「もう、いいだろ。全部喋ったよ。
 どうせ明日みんなバラバラに出発すんだからさ、この話はここで終わり、っと。
 オレはどっかに泊まるし、な。
 このまま…終わろうぜ」
(終わらせて、くれよ)
危うくぶつけてしまいそうになった言葉をウスターはかろうじて飲み込んだ。
「でも、……それじゃ」
「別に不都合もねえだろ」
「ふつご…」
場に漂った気配にリゾットが言葉を詰まらせる。
オレじゃあんたには不釣合いなんだ、もうこれ以上関わらないでくれとウスターは言う。
それを覆すだけの言葉を探してはいるが、リゾット自身の経験の少なさが的確な答えを埋もれさせる。
分かったと一言告げ、ここでウスターを行かせてやる事の方が、一般的には正しい選択なのかもしれない。
だが、ここで手放してしまったら本当に終わると直感が叫んでいた。
対して、言葉を待つウスターはリゾットが諦めるはずだと思い込んでいる。
彼がこちらの事を考えているなら、もうここで自由にしてくれるはずだと。
「寂しい…」
だから、そんなリゾットの呟きが聞こえても、ウスターには何の事だか分からなかった。
「は?寂しい?」
「…うん」
消え入りそうな返事。見つめた赤の瞳はかつてない不安に揺れていた。
突然リゾットが見せた弱さに、思わずウスターは言葉を投げかけてしまう。
「ど、どうして。オレが仲間だからか?」
「それも…あるけど」
会話が繋がりを逃すまいと、リゾットは真っ直ぐにウスターを見つめ必死で言葉を探す。
「なあ、オレの話聞いてただろ?
 オレはもう、あんたを仲間だって思ってないんだぜ」
「分か…ってる」
「だったらさ、もう傍にいるのはおかしいんじゃないかってオレは言いたいわけ」
「分か…っ、でもっ」
この期に及んでも『仲間』として大切にしたいというリゾットの気持ちが途切れていない事が、
ウスターの胸を痛いほどに締め付ける。
「そんな風に願う事がでしゃばりすぎた事だってのも十分分かってる。
 でも、だからってそれをハイ無理ですって自分に言い聞かせられるほど…
 利口でも、できた人間でもないんでね、オレは。
 いや、オレ猫だけどさ…」
リゾットと共にいる状態では気持ちの整理などつくはずもない。
逃げる事になる。そんな弱さを、最後にリゾットに赦して欲しかった。
「ウスター」
「…好きだな。リゾットに名前呼んでもらえるの」
未練は断ち切らなければいけない。今しかない。
自分自身を一度殺して次の道を探すために、ウスターははっきりと言った。
「でも…もう、終わりにしようぜ。
 仲間として大切にしてくれるのは嬉しいんだ、それは嘘じゃない。
 でも、オレのことでこれ以上あんたに余計な迷惑かけたくない、し」
本音をさよならに変える。
「正直……辛え」
降りしきる雨。二人を濡らし続ける雨。
「な。リゾットは早く城に帰れよ。みんな待ってんだろ」
精一杯の大人の余裕を作って、王子様の頭をそっと撫でる。
さんざん弱い自分を露呈させた後では決まるものも決まらないだろうが、
最後にこれくらいは格好つけておきたかった。
「…嫌だ」
「へぁ?」
「嫌だ、絶対に嫌だ。
 ウスターとこのまま別れるなんて出来るもんか!」
突然声を荒げたかと思うと、リゾットが勢いよくウスターにのしかかった。
「ちょ、ちょっと待てよっ、おいっ!?」
「城に戻る!どうしたらいいか…後で考える!」
「か、考えるって…い、いでででででっ!!」
この場で答えを導き出すより、とにかく状況を打開しようという結論に達したのか
動こうとしないウスターの腕を掴み、実力行使に出るリゾット。
だがその瞬間ウスターの口から苦悶の声が漏れ、リゾットが反射的に身体を離した。
「…!ウスター、足を!?」
今になって気づく、ゴミに埋もれたままのウスターの左足。
へへ、と苦笑いしながらウスターが眉を寄せた。
「落ちた時にな。ホント、ざまぁねえよ…」
がしゃん。がたん。
ウスターの呟きが終わるより早く、リゾットが周囲のゴミを放り投げ始めた。
埋もれたままのウスターの足をゴミの山から出そうと。
細い指先の出たグローブで鋭利なゴミを掴むたび、リゾットの指に僅かずつ血が滲んでいく。
「リ、リゾット!危ないだろ、そんな素手で…」
「ウスターを追い詰めたのはオレだ、オレに責任がある!」
増えていく傷も気に留めず、リゾットはただひたすらにゴミを掴んでは放る。
一心不乱に手を動かし続けるリゾットを制止することも出来ず、ウスターはその様子を
じっと見守る事しかできなかった。
ようやくの事でゴミが取り除かれると、リゾットはそっとウスターの足をゴミから引き抜く。
そしてウスターの手を取り、真っ直ぐ相手の目を見据えて言った。
「帰ろう。ウスター」
「リゾット…」
共に戻ろうと訴える眼差しに一瞬ウスターが戸惑う。
その隙を逃さずリゾットが先手を打った。
「歩けないなら、オレが背負っていく」
「い、いいってそんな…ひゃあっ!?」
言うが早いか、有無を言わさずウスターを背中に背負うリゾット。
ウスターの足を抱えると、ゆっくりとゴミの山から降り、リゾットはグランシェフ城へ向けて歩き出した。
「お、降ろせよっ。オレは戻りたくなんか…!」
逃れようと動かされたウスターの足に、更に強い力を込める。
「離さない。絶対に」
「………」
あまりにも凛としたリゾットの意思の現れ。もう逃げる事は出来なかった。
はぁぁ、と大きく溜め息をつき、ついにウスターが折れる。
全体重をリゾットに委ね、頭をぐったりと彼の肩に乗せた。
(本当に分かってんのかよ…この王子様)
そういう正義感の強さだって、本当は好きなのだけれど。
(でも…いっか)
こんなにも近くにリゾットがいるのだから。
今はそれだけ感じていようと思った。
(リゾットの匂いがする…)
背負われた事で届いたリゾットの匂いが、ウスターの思考を完全に停止させる。
雨のせいでより密着する互いの身体。
リゾットの体温と心臓の鼓動がウスターを眠りに誘うのに時間はかからなかった。
刹那の安らぎを享受するように瞼を閉じると、一分と経たずしてウスターは眠りに落ちる。
こうしてリゾットに背負われたまま、ウスターはグランシェフ城へと連れ帰られたのだった。