小粋な2人はエスプレッソ side-W(フォンドヴォー×ウスター)



フォンドヴォーにブチ切れた。
原因は全部あっちにある。…多分。

街中で見つけた酒と飯の美味い店にフォンドヴォーを誘った。夜七時に広場の時計前で待ち合わせて、そこからその店へ向かうぞとフォンドヴォーに告げる。一瞬彼の顔に「宿から一緒に行けばいいのに、どうして待ち合わせ?」という言葉が浮かんだが、すぐにオレの言わんとする事を汲み取ったようで、分かったと頷いた。
理由は今日という日にある。オレとフォンドヴォーが二人旅を始めてそろそろ一年。この旅を始めるきっかけになった日が、ちょうど一年前の今日。…言ってしまえば、俺達が…互いを好きだと知った日。その後の二人で旅をしないかという彼からの誘いにオレは頷き、以来二人であてもない旅を続けている。そしてオレとフォンドヴォーの距離はあの日から、ずっと近いものになっている。世間一般の呼び方で言うなら、恋人…と呼べるくらいには。
オレの性分からして、男二人で記念日を祝うなんざ寒い事極まりないという所。なのだが、その寒いはずの事をこちらから持ちかけているあたり、ヤキが回ったかと自分でも思う。思うが、それでもその、…今日くらいはいいか、と。二人で飯と酒を囲んで祝い事をするのも悪くないんじゃないかと、思ったわけよ。
…うるせえな、分かってるよ。悪くないかというより、そうしたいんだ。今日くらいはさ。あー、やっぱりどうかしてる。どうかしてるけど…、惚れた弱みってやつで…ちくしょ。
街中に用事があると五時過ぎにフォンドヴォーが宿を出た。一人になった部屋で何を食おうか、酒は何を頼もうかと考えながら荷物をかき回し、普段のスーツとは違う服を取り出す。いつものバンカーマークも今日はなし。大きく襟ぐりの開いたシャツに袖を通してシルバーのネックレスを着けた。
そういや、この格好はフォンドヴォーに見せた事あったっけか。多分ないな。シルバーアクセは今も時折買い集めてはいるが、見えるように着けるのなんてどれくらいぶりだろう。
「気づくかな、あいつ」
この格好が彼の目に留まるだろうかという期待。まるで彼氏とのデートに勝負服を選ぶ女の子のよう。自分で言った言葉に気恥ずかしくなって頭を抱えた。まあそんな事をするうちに待ち合わせ時間が近くなり、オレは財布をポケットに突っ込んで広場へと向かった。
到着した時間は六時五十分。フォンドヴォーは時間に正確な性分なのでそろそろ来ているかとも思ったが、広場を見渡しても彼の姿はない。焦ることはない。噴水を眺められるベンチに腰を下ろして、フォンドヴォーの到着を待った。
日が落ちかけた広場には家路を急ぐ人々…ばかりではないらしい。所々に祭の出店のものとおぼしき食べ物や飲み物を持った子供や家族連れが見受けられる。どこかでやってるならフォンドヴォーとちょっと見にいってみてもいいか。そうこうするうちに時計は七時を刻んだ。
珍しいな。ま、あいつだって時間に遅れる事はあるさ。のんびり待てばいい。
…………七時二十分。まだ来ない。
いや、もう少しは待つけど、どうしたんだろう。この広場は大通りに直通だから、少し街の規模がでかいからってあいつが道に迷う事は多分ないと思うんだが。
人の往来が絶えない街中にオレは一人きり。見慣れた紺のコートがこちらに向かってくる様子を思い描くが、その気配が微塵もないままに時計の針が進む。何かトラブルにでも巻き込まれたのか。オレなんかよりよっぽど腕の立つバンカーであるフォンドヴォーに限ってそんな事は。でも万が一という事も。いや…ひょっとして…約束、忘れられた、んじゃ。
そんな事ないよな?あんたはちゃんと分かってくれてた…よな?
不安に耐え切れず、ベンチを立って街へと向かう。時間は七時三十五分。人が沢山いるらしき方向を選ぶと、やけに明るい一角が目に入った。人が溢れるそこは食堂で、かつ店の外にまで出店が出る賑わいよう。振る舞い酒もあるようだが今はそれどこじゃない。人が大勢いるならフォンドヴォーを見た人がいるかもしれない。誰かに話を聞いてみよう、そう思って店内に足を踏み入れたオレが目にしたのは。
おばさんやお姉さんに囲まれ、雑談をしながらグラスを傾けているフォンドヴォーの姿。顔色からしてそれなりに酒が回っている様子だった。
「…フォンドヴォー!!お前、こんな所で何やってんだよ!?」
反射的に怒鳴ったオレの声に、フォンドヴォーがはっと顔を上げてこちらを見た。それまでオレに気づいている様子もなかった。彼は食堂の時計を見上げ、そこで初めてあっ、という表情をする。
「……もういい」
言い捨て、即座に店を飛び出す。陽気に酒を酌み交わす人達を押しのけるようにして足を速める。その後ろから酷く狼狽した様子の声がオレを呼んでいた。
「ウスター!すまない、ウスター…!!」
傾ける耳なんてあるもんか。あんたはずっとそこにいりゃいい。何謝ってんだよ、楽しいんだろ?オレの事忘れるくらいに楽しかったんだろ?…勝手にしろ。
目当ての店に行く気など皆目起こるはずもなく、オレは真っ直ぐに宿へ向かう。オレの少し後ろをついてくる気配があるがそいつを振り返る事はしない。苛立ちを部屋の扉にぶつけて力任せに閉めた。そこで鍵をかけなかったのは怒りに我を忘れていたから。胸の奥底から最大級に大きな溜め息を吐き出し、ベッドの上に座って壁を向く。
僅かな間の後、そっと部屋の扉が開けられる。入ってきた人物が静かに扉を閉めたのが分かる。
そしてその足音は迷う事なく、ベッドの上に座る俺の方へと近づいてきたのだった。

オレの肩に彼の腕が回る。いつものようにオレを抱きしめようとして伸ばされた腕。だが今のオレがそれを素直に受け入れるはずもない。手袋のない手に全力で噛み付く。痛みにフォンドヴォーの手がわなないた。少しだけオレが力を緩めた隙に彼が手を引き戻し、オレとの距離をとった。壁にもたれてでもいるのだろう、こちらに視線が向いているのが分かる。口の中に微かに残った血の味を喉の奥に流し込みながら、オレはただ壁を凝視して座り続けた。部屋に時計の秒針が進む音だけが響く。そのまま、随分長い時間が過ぎた。
「………ごめん」
「もういい」
小さな呟きを切り捨てる。オレの怒りは収まらない。
何だよ今更。あそこで楽しそうに呑んでたじゃないか。オレを追いかけてくる必要なんかない。記念日だ何だって思い上がってたのはオレだけだったんだ。馬鹿みたいに楽しみにしてさ。あんたが酒に酔って忘れるくらいの事をよ、一人で勝手に。
いいって、もうオレなんか気にすんな。何ならこの先、もう今夜からでも別々にここを出たって構わない。その方が気楽だろ?束縛しようなんてヤツがいなくなってあんたもせいせいするだろうさ。
流石に座りっぱなしは疲れたので、オレは身体をベッドに横たえる。背後に感じられるフォンドヴォーの気配に変化はない。
…丁度一年で、こんな思いする事になるなんてよ。
怒りの隙間に、この一年を少しだけ思い返した。あいつといるのが当然になっていた日々。気がつけば向こうの腕がオレを抱きしめているようになった時間。オレなりに大切にしてきたと思っていた記憶の数々。でも、それもオレの勘違いだったんだな。これがあんたの答えだもんな。
沈黙していた空間に足音が響いた。少し足早に、フォンドヴォーが部屋を出て行った。足音が遠ざかったのを確認してから少しだけ振り返る。あいつ愛用の棺桶バンクは置かれたままだった。トイレでも行ったのかもしれない。しばらくしたらまたあいつは戻ってくるだろう。
一人きりで取り残された部屋を眺めた。…怒りで一杯だったはずの心に、一人でフォンドヴォーを待ち続けていた時間の不安が少しだけ蘇る。
……何だよ。何でだよ。ちゃんと約束したじゃねえかよ。分かったって、言ってくれたんじゃなかったのかよ。
もう一度身体を壁に向けて横になる。どことなく腹が減っているのに気づいたが、部屋から出て行く気分にはなれない。
と、再び部屋の扉が開いた。あいつの足音が入ってくる。だが、さっきまでと違う点が一つ。
やたらと鼻につく匂いのするものを、あいつは持って帰ってきていた。

フォンドヴォーが椅子に腰掛け、持ってきたそれを口にする。音と気配でそれが分かる。というか、この部屋に漂う強烈な匂いは…コーヒーに間違いない。でも、何で今コーヒーなんだ。訳わかんねえ。勝手なペースで一人だけコーヒーを口にしているあいつにまたムカついた。
「……何、勝手に飲んでんだよ」
身体を動かしてフォンドヴォーの方を向いた。奴はそこでテーブルの上のカップを指差し……、!
「飲む?」
「……いらね」
オレがそれを拒否して再び壁に背を向けると、またフォンドヴォーが部屋を出ていった。足音を確かめてから、オレはベッドを降りてテーブルへと近づく。
「…エスプレッソ」
さっきは二つあったそれが一つになっていた。フォンドヴォーが作り足しにでも行ったのだろう。残された小さなデミタスに口を付ける。熱いかと思われたそれは、猫舌のオレが飲むのに丁度いいくらいの温度だった。
「あいつ…」
オレの手には随分小さいデミタスを見つめた。デミタスを手にしたのはこれで二度目。最初の時は……、そうだ。
思い起こされた記憶を辿りながら空のデミタスをテーブルへ置く。と、いきなりフォンドヴォーが部屋へと入ってきた。気配がなく油断していたオレに真っ直ぐに歩み寄ると、乱暴なほどの力でオレを抱きすくめた。彼が放ったのだろうデミタスが床に転がって乾いた音を立てた。
「うあっ!?ちょ、お前、なっ…は、離っ」
「愛してる、ウスター」
耳に届いた言葉は限りなくストレート。
「ごめん。本当に………ごめん」
「………」
ずっと聞いてきた声音。オレに対して隠し事をする事のないこの男の感情は、全て声の調子で分かるようになっていたオレ。
「……冷ましてあったな。ちゃんと」
赤い髪に埋もれた耳に届くように呟いた。
「熱くて飲めないって、あの時怒ってたからさ」
前に一度だけ、フォンドヴォーと二人でエスプレッソを飲んだ事があった。小さいデミタスのくせになかなか冷めないそれにオレが苦戦していたのをこいつは覚えていて、オレ用のエスプレッソはちゃんと冷まして持ってきていた。そんな小さな気配りでずっとオレの手を引いてくれていた男が、オレを放り出して忘れていた事を悔やまないはずがなかった。
心からの謝罪と、心からの気持ちとをオレにぶつけてきたフォンドヴォー。彼の腕の中でこれ以上駄々をこねるのなんざ子供以下でしかない。
「あーああ」
本当は…悔しかった。あんたに忘れられてたのがすげー悔しかった。
あんたの事を好きな分悔しがっている自分を否定なんか出来なかった。
「まただよ。この一年、ずっと負けが込みっぱなしだ。ちくしょ」
「負け?」
観念して重心をフォンドヴォーに預けると、オレの気持ちを完全には見切っていないらしい彼から声が上がった。
「ずっとさ。ずっとだ。ああ…本当に」
そんな風にしてても、肝心なところでオレを一番にしてるあんたを知っちゃってるからさ。本当…敵わねえよ。こんないい男がまだオレを好きでいてくれてるなんて、万々歳としか言えねえよ。
「この腕の中がいい。この一年、それしか考えてねえ。馬鹿みたいにそれだけで一年きちまった」
「…ウスター」
「悔しいよなあ。でも…ああ、もういい。反則だ、エスプレッソは」
「んっ!」
してやられた分の仕返しはしたい。不意打ちでフォンドヴォーの耳を舐めると、大きな身体がぴくっと震えた。…そろそろ、オレも素直になっとくか。理由は何でもいい。視界に入ったデミタスに目をやり、オレはフォンドヴォーに命令した。
「もう一杯持ってこい。あれだけじゃ足りねえ」
「一緒に飲んでくれる?」
「しょうがねえな」
普段は向こうからされる事が多いキスをオレからフォンドヴォーに与えた。唇を食みながら舌を差し入れる。二人分のエスプレッソの風味が絡む舌に溶け合っていく。こんな苦いキスも、たまには悪くない。
「つうか、飯まだだっつうの。誰かさんのせいで」
フォンドヴォーが転がしたデミタスを拾いつつ、食事の催促。
「…どうする?今から作るか?」
「行くぞ。あそこの店は二時までやってる。酒もなしで終われるかってんだ。ああ、支払いは当然そっち持ちだから覚悟しとけ」
「もちろん。それくらいおやすい御用だ」
さっきの埋め合わせにと、フォンドヴォーが食事代の支払いを飲んだ。二人並んで部屋を出ようとした時、血の滲んだフォンドヴォーの手が目に入る。今見ると相応に痛々しいそれに胸が痛んだ。静かに彼の手を取り、傷を舐めて血を拭った。
「……悪い。加減しなかったな、オレ」
「それくらい怒らせる事しましたから」
「…んや。こっちも大人気なかったし。ま、おあいこか」
「うん」
そして再び、オレ達は同じ気持ちで互いを見る。たった一人の相手と記念すべき時間を迎えるそのために。
「忘れんなよ。寝る前にエスプレッソ。今度はミルク付けろ」
「ああ」
気づいてたさ、と言うようにオレの鎖骨とシルバーのネックレスとを撫でながらフォンドヴォーがオレに口付けた。こいつは…全く。
さあ、行くか。美味い飯と美味い酒と、それを愉しむ相手が待ってる。


END