小粋な2人はエスプレッソ side-F(フォンドヴォー×ウスター)



ウスターを怒らせてしまった。
原因は、全て俺のせい。

街中に美味い店を見つけた、夜七時に広場の時計前で待ち合わせようぜとウスターが言った。食事するなら待ち合わせなんかしなくても…と言おうとして、俺は彼の提案の意味に思い当たった。
一年前の今日、初めて俺とウスターは互いの存在を認識した。もちろんそれまでも仲間としてはやってきていたけれど、その…互いを好きになったと気付いた、言わば記念日が今日。…確か、初めてキスをしたのも一年前の今日。
男同士で記念日なんて、そう言いそうなはずのウスターがこんな事を持ち掛けてくるなんて思ってもいなかった。多分俺の勘違いではない、と思う。食事に行くのはいつもしている事だけれど、そんな背景のおかげで何だか一大イベントを迎える気分になった。
必要な用事は全て済ませて、約束の広場に六時四十五分頃着くようにと俺は街を歩いていた。と、通りの一角、やたらと派手に明かりの点る店が目に入った。食堂らしきその店の外道には出店まで出ており、集まった人の数もなかなか。小規模な祭が開かれているようだった。
「ようよう、どうだい兄さん!駆け付け一杯」
「あ、どうも。…何かのお祭りでも?」
「地主様ん所に男の子が産まれたってんでね、ウチの店借り切ってくれたんだよ。張り切らないわけにいかないだろ?酒も飯も全部地主様持ち!こんなめでたいお得な席はそうそうないからよ、兄さんもたっぷり食っていってくんな」
「なるほど。そいつはめでたいな」
店の主人は振る舞い酒を配りに行ってしまった。もらった酒は芳醇な香りの果実酒で、金がかけられているのがよく分かる。軽くそれを飲み干して、広場に向かおうとしたのだが。
祭りと酒の勢いで陽気になった人々に、俺は無理矢理にテーブルにつかされてしまった。人と会う約束があるんだと言うより早く、ただなんだから食べておいきとおばさんが酒とつまみを差し出してくる。少しだけ戴いて席を立とうと思っていたのに、口にした果実酒は俺が思った以上に度が強かったらしい。ほろ酔いになってしまった俺は時間を確かめるのを忘れ、そのままそこで飲み続けてしまったのだ。
「…フォンドヴォー!!お前、こんな所で何やってんだよ!?」
騒がしい店内で聞き慣れた声がした瞬間、俺の意識は一気に立ち返る。見上げた食堂の時計は七時四十分を過ぎていた。
「……もういい」
吐き捨てるような声。酒に酔った人々の間を抜け、ウスターは姿を消した。
「ウスター!すまない、ウスター…!!」
追い掛けた彼はいつものスーツではない、ややラフな感じのシャツにシルバーアクセサリーの出で立ち。特別な日の装い。その格好で俺と美味い店で食べるのを楽しみにしていただろうに。
ウスターの足は街中や広場へ向く事なく、宿へ一直線に向かう。十歩ほど後ろを歩いて追う俺も、仕方なくそのまま宿へと帰ったのだった。

そして今、俺達は同じ部屋に二人でいる。だが会話などあるはずもない。無言のまま既に三十分以上が経過していた。ウスターはベッドの上に座り、窓の方を向いて俺に背中を向けている。
部屋に入って彼がベッドにどっかりと座った時、俺は後ろから彼の肩に手を伸ばした。抱きしめていくらでもごめんと謝ろうとした。だがその手に思いきり噛み付かれた。容赦のない仕返しは彼がどれだけ俺に失望したかという証。血の滲んだ手を引き戻し、俺は壁に身をもたせかけてウスターを見守る他なくなったのだった。先程までの酔いなど完全に吹き飛んでしまっている。
そして今も、ウスターの機嫌は最高に悪いまま。
いつもならピンと立っている耳が後ろを向いて寝ている。加えて、彼自慢の尻尾が時々ぴくぴくと震えるように動く。猫である彼が本能で表現するこれらのボディランゲージが、彼の機嫌が最悪だという事を俺に対して全力で主張していた。
「………ごめん」
俺が呟いた言葉に、寝ていた耳が一瞬だけぴくりと反応した。だがすぐにその耳がぺたりと寝る。
「もういい」
許すではなく、近寄るなという意味の言葉。低い声音に含まれているのは俺への怒り。
ウスターはどれだけこの夜を楽しみにしていたんだろう。彼が見つけた店ならきっといい酒も揃っているに違いない。酒のひとつも酌み交わしながら、今まで一緒に過ごした一年という時間を語りでもしたかったはずだ。それなのに、そのための今日がこんな事になってしまって。俺を大切にしようとしてくれた彼の気持ちを、俺自身が全て駄目にしてしまって。
この記念すべき日に、俺はウスターに愛想を尽かされてしまうかもしれない。そうなってもおかしくないくらいの事をしたと思う。どんな気持ちで俺を待っていただろう。そして俺を待つ間、どれだけウスターが不安になったかなんて考えなくてもすぐに分かる。
ごめんなんて言葉はいらないと彼が言う。まだぴくぴくと震える尻尾が俺が近づく事を拒んでいる。手を取ろうとすれば噛み付かれる。こうして俺が同じ部屋にいる事もウスターは嫌なのかもしれない。普段わりとテンション高くツッコミを入れるようなウスターだけに、彼が静かに怒りを放つ事でどれだけ本気で怒っているのかを目の当たりにさせられる。
こんな男のどこがいいんだろう。
どうして一年も、俺達は一緒にいられたんだろう。
ウスターがいてくれる事が当たり前になっていた時間。彼の存在に無意識のうちに甘えていた自分。彼との距離が離れて初めて、目の前のひとの大切さとやさしさを知る。馬鹿な俺。
流石に同じ姿勢で座っていて疲れたのか、ウスターが軽く身体を動かすとベッドに横になった。だが身体は壁を向いたままで、耳と尻尾は相変わらずの不機嫌さを示したままだった。
最初ウスターの耳に触った時、彼は反射的に嫌な顔をした。どうも猫の本能で耳を触られるのは苦手らしい。けれど次第に互いの距離が近づいて、彼も俺にくっついてくれるようになった頃には耳を触っても何も言わなくなった。あんたが触りたいなら好きにすりゃいいさ、そう言って触らせてくれるようになったのでお言葉に甘えて時々撫でさせてもらうようになった。
多分俺は自分で思っている以上に、ウスターの耳が好きだ。彼が俺を気にかけているのがほんの小さな動きで分かるからだ。話しかけると何も聞いていないようで耳だけはこちらを向く。俺の足音がしてもそちらに向く。機嫌がいいとまっすぐ立つ。機嫌が悪いとぺたんと後ろ向きに寝る―――今のように。人間にはない言葉で彼が俺に見せる感情の機微。多分それは猫の本能であってウスター自身が意図してやっているものではないと思うのだけど、そんな所に彼の気持ちが見えるようで、俺はウスターの耳を何気なく観察するのが実は結構、いや、かなり好きだ。見ていて飽きないなんて言ったら怒られるのだろうけれど。
ウスターがいるというしるし。彼のこころが俺の側にあった証。
今はただかたくなに俺を拒む彼の姿を見て、俺は自分を責めると共に胸にこみ上げる寂しさを必死で抑えていた。
(ごめん。ウスター…ごめん)
いつもなら、彼が身体を横たえていればその上から顔を覗き込む。大きな黒い目が最初は困ったようにこちらを見る。でもやがて抱きしめているうちに、しょうがねえな、と言って俺の頭を抱き寄せてくれるのがウスターのやさしさ。その後はキスを交わして、そして。
ふかふかの肌も、じっと俺を見る黒い瞳も、噛まれれば痛い牙も、温かい大きな手も、力を入れたら折れてしまうんではないかと思うような細くて恰好の良い身体も…思い返す程、彼の全てをこんなにも好きなのに。
彼を大切に出来なかった俺の愚かさだけが今、二人でいる部屋の空気を澱ませて満たしていくようで。
胸の痛みが限界に近づく。しばらく流す事もなかった涙がこみ上げてくるのを感じ、俺は早足で部屋を後にしていた。どうにかして頭を切り替えよう。そう言えば結局食事だってしていないんだ。それはウスターも同じだけど。
張り詰めた緊張の糸をほぐす術を考えていた俺の鼻に、廊下に漂う飲み物の香りが届いた。他の部屋の客が飲んでいるのかもしれないそれの香りは。
「……そうだ」
頭の中に閃く記憶とインスピレーション。俺は宿の食堂へと足を向けた。

飲み物で満たされたカップを手に部屋に戻る。ベッドの上のウスターは寝転がったまま。二人分のカップをテーブルに置き、壁際に椅子を引き寄せて俺は乾いた喉をその飲み物で潤した。
俺が何か飲んでいる音にウスターの耳がぴくっと反応した。だがそれ以上に、部屋に漂う特徴的な香りの方が影響しているのだろう。ベッドにくたりとしていた尻尾が興味を示すようにぱたり、ぱたりと小さく動いた。それから数秒して後。
「……何、勝手に飲んでんだよ」
眉は深く皺を刻んだまま。ごろりと身体を動かしてベッドの上からウスターが俺を見る。俺は言葉の代わりに手にしたカップを持ち上げ、そしてウスターの分のカップを指差して尋ねた。
「飲む?」
「……いらね」
一瞬ためらいを見せたものの、短く答えてウスターは再び俺に背を向ける。沈黙したウスターに目をやりながら、俺は空になったカップを手に立ち上がった。
俺が持ってきたのはエスプレッソ。コーヒーと似て非なるこの飲み物は濃く凝縮された味を楽しむために、大人なら二口程度で飲めてしまう量をデミタスという小さなカップで味わう。さっき俺を見た時、多分ウスターもコーヒーではなくエスプレッソが部屋にある事には気づいたはずだ。
そっと扉を閉める。もう一杯エスプレッソを作りに行く…ふりをして、俺は十歩ほど歩いた所で足音を消して部屋の扉の前に戻り、中の気配を伺った。もしウスターが、このエスプレッソの意味に気づいたなら。
部屋の中で、たん、という小さな音がした。デミタスがテーブルに置かれた音。扉を開け、テーブルの前に立ち尽くしていたウスターに腕を伸ばす。握っていた空のデミタスを床に放り、力任せに彼を抱きしめた。
「うあっ!?ちょ、お前、なっ…は、離っ」
「愛してる、ウスター」
もう選ぶ言葉もなくて、ただそれだけを伝えた。
「ごめん。本当に………ごめん」
「………」
噛み付くような事はせず、ウスターはただ静かに俺に抱きしめられている。彼の気持ちを示す言葉を、俺はただ沈黙して待ち続けた。
「……冷ましてあったな。ちゃんと」
俺の耳元でウスターが囁いた。
「熱くて飲めないって、あの時怒ってたからさ」
前に一度だけ、俺とウスターは一緒にエスプレッソを飲んだ事がある。物は試しというやつだったのだが、小さいデミタスでもなかなか冷めないエスプレッソを猫舌のウスターは必死で飲もうとしていた。だから、さっき持ってきたウスター用のエスプレッソは少し冷まして持ってきていた。
「あーああ」
彼の身体の力が抜け、俺に体重がかけられる。
「まただよ。この一年、ずっと負けが込みっぱなしだ。ちくしょ」
「負け?」
問い返した俺の言葉に、俺の肩に顔を埋めながらウスターが苦笑いする。
「ずっとさ。ずっとだ。ああ…本当に」
届く声音は穏やかで。
「この腕の中がいい。この一年、それしか考えてねえ。馬鹿みたいにそれだけで一年きちまった」
「…ウスター」
「悔しいよなあ。でも…ああ、もういい。反則だ、エスプレッソは」
「んっ!」
照れ隠しなのか、ウスターが俺の耳をぺろりと舐め上げる。いきなりの事に身体が跳ね上がった。その反応に満足したか、喉で笑いながらウスターが正面から俺の顔を見つめた。
「もう一杯持ってこい。あれだけじゃ足りねえ」
「一緒に飲んでくれる?」
「しょうがねえな」
そう言いながら押し付けられた唇にはエスプレッソの香り。濃い苦味を残したままの舌が滑り込んできて、同じ味の俺の舌と柔く絡み合う。
「つうか、飯まだだっつうの。誰かさんのせいで」
俺が床に放り出したデミタスを拾いながらウスターが腹を撫でた。
「…どうする?今から作るか?」
「行くぞ。あそこの店は二時までやってる。酒もなしで終われるかってんだ。ああ、支払いは当然そっち持ちだから覚悟しとけ」
財布をテーブルに放って部屋の扉の前で俺を待つウスターの耳は、いつものようにぴんと上を向いていた。
「もちろん。それくらいおやすい御用だ」
自分の財布をウスターに見せ、ポケットにねじ込む。戸口の横で俺を見上げたウスターが、俺の手を取ってそっと傷口を舐めた。
「……悪い。加減しなかったな、オレ」
「それくらい怒らせる事しましたから」
「…んや。こっちも大人気なかったし。ま、おあいこか」
「うん」
そしてもう一度念を押す。
「忘れんなよ。寝る前にエスプレッソ。今度はミルク付けろ」
「ああ」
シャツから覗く鎖骨とシルバーのネックレスとをそっとなぞりながら、もう一度キスを交わして二人で宿を後にした。
記念すべきこの日のお祝いをやり直すために。


END