silent white?(フォンドヴォー×リゾット)



窓ガラスに吹き付ける風の冷たさが一段と増す。やがて薄曇りの雲が空を覆い、風に白いかけらが混じり始めた。次第に強くなりゆく寒風に急かされるように、城下町を行く人々の足取りも速くなってゆく。
冬の妖精はグランシェフを気に入ったのだろうか。今日くらいは青い空を拝めるかと思っていたのに、すぐにでも吹雪きそうな雲行きになりつつある。
「城門近辺の警備人員を追加。水脈の凍結点検をもう一度やり直してくれ。あと、暖房用の薪がなくならないよう気をつけろ」
「は、了解しました」
的確に下された指示に衛兵が一礼し、任務遂行のために廊下を駆けていく。冷え始めた廊下の空気に小さく身震いすると、リゾットは階段を上がって自分の部屋に駆け込み暖炉に火を点けた。燃え始めた炎に薪をくべながら赤い揺らめきをぼんやりと見つめる。暖められた空気が窓ガラスの雪をまだ溶かしてはいるが、あと一時間もすれば城を吹雪が覆うだろう。
(もう一度、オレも場内を見回ってくるか)
そう思いながら自室の雨戸を閉めようと戸口に伸ばした手を、リゾットはぴたりと止めた。窓の向こうに広がる雪景色に視線を投げかける。季節はあっという間に巡り、グランシェフに戻ってきてから二度目の冬がやってきている。王子として国政に参加するようになって約一年、ようやくその仕事にも慣れてきた頃。
「…………」
一年という時間はどれくらい自分を変えたのだろう。そしてそれは良い変化だろうか。一年前の自分にはなかったものが今、何かしらあると思いたい。それは知識かもしれないし、人脈かもしれないし、精神力かもしれない。
だが、変化は成長という名の前進ばかりではない。一年前にはあって、今はないものが少なくともひとつある。はっきりとわかるそのひとつはとても大きくて、そして今はもうリゾットには取り戻せないもの。たったひとつのそれが何なのかに思い当たった瞬間、リゾットはその名前を反射的に口にしていた。
「フォンドヴォー」
もうここにいない彼の名を口に出して呼ぶのは随分久しぶりだった。彼がグランシェフを去ったのは本格的に冬が訪れる少し前、丁度去年の今頃。そしてその頃、リゾットが正式に国政に参加する事、王子として国家の責務を担う事が決まったのだった。
その瞬間、彼と自分の間にあった絆は音を立てて消えた。
その絆を断ち切る事を決めたのはフォンドヴォーだった。
どうしてそんな風に笑っていられるのかと問い詰めたいくらいだった。つい数分前に彼の口からおめでとうの言葉を聞いたばかりだった。彼は自分が王子として進みゆく事を祝福してくれていたし、そしてこれからだって傍にいてくれるものだと思っていたのに。
彼はいつからそんな選択をしていたのだろう。一緒にいたいという気持ちは、一人よがりな甘えだったのか。
『じゃあ、これからは俺がいなくても大丈夫だな』
そんな言葉を、いつもの笑顔で言ってほしくなんかなかったのに。
男同士で想い合う仲なんて、どこかおかしいのは解っているつもりだった。けれど互いに抱く感情の中に信頼があればこそ、ずっと上手くやっていけると思っていた。それが今まで二人で築いてきた関係の確かな形だと信じていたから。
何を言い出すんだ、お前がいなくなって大丈夫なわけないだろうと返した言葉に彼が続けた。近いうちにグランシェフを出る、と。フォンドヴォーの声はいつもと変わらず穏やかで、口元には何事にも動じていないかのような微笑みが浮かんでいた。その後どんな言葉を投げつけても、彼の胸板に縋って拳で殴りつけても、彼はずっとその微笑みのままリゾットの頭を撫で続けるだけだった。
決めた答えを覆すつもりはないと、彼の笑顔が言い放っていて。
己の無力さに、リゾットは声を上げてその場に泣き崩れた。

あのフォンドヴォーの決断から一年。何事もなかったかのように時間は巡り、リゾットは王になるための階段を上り始めている。その一年の間には何度か、かつてのバンカー仲間達がグランシェフを訪れてきていた。だがその中にフォンドヴォーの姿はない。仲間達に聞いても、彼と時折一緒になる事はあるがすぐにふらりと姿を消してしまうらしかった。顔ぐらい見せてくれるのではという期待もあった。永遠の別れなんてきっとないと思いながらここまでやってきたが、忙しさに追われる時間の隙間にこうして一人になった孤独を噛み締める事になる。その瞬間に感じるのは彼がいない寂しさと、もう会えないかもしれないという諦めと、彼がいない事に慣れてきてしまった自分への怒り。支えてくれる人々がいるから孤独と言うほど完全に孤独ではなく、そして彼の全てを忘れてしまったではないけれど、二人で過ごした時間の輪郭が次第にぼやけつつあるのが、怖い。怖くて仕方ない。
思い出を、フォンドヴォーを、過去にしつつある自分。だが、そんな自分に憤りを覚えても、挫けずに彼を待ち続けたとしても、果たしてそれは叶えられる願いなのだろうか。
もう、フォンドヴォーは自分の事など忘れてしまったのではないか。
自分を好きではなくなってしまったのではないか。
「っ…!」
窓のさんにしがみつくようにして、リゾットはこみ上げてきた涙と恐怖を必死で押し殺した。あの時フォンドヴォーが別れを選んだのも、そしてそれを決して曲げようとしなかったのも、全てはリゾットの未来を想っての事。リゾットが恋人であるフォンドヴォーを手放せないと知っていたからこそ彼はリゾットに決断を求める事なく、自ら決めた選択を貫き通しているのだ。きっと今も。立派な王になってくれよという彼の言葉に嘘がないから、ずっと離れたままでいるんだ。そう思いたかった。
けれど、その考えに確かな保証などない。
一人になった彼が新たな幸せを手に入れていたって、おかしくはない。
「フォンドヴォー」
笑って答えてくれるその人はもういない。
フォンドヴォーがグランシェフを去る前日の夜、リゾットはフォンドヴォーの寝室へと忍び込んで彼の腕の中で嘆願した。一度だけでいい、せめて最後に身体も心もお前のものにして欲しいと。その最後のおねだりさえ、フォンドヴォーは微笑みながら首を振って拒んだ。リゾットの頭を撫でながら、もう俺はリゾットの頼みを聞けないんだと言った。
どこまでも優しくて強かった彼は、最後の最後までリゾットの幸せを願いながら笑顔のまま城を去った。一介のバンカーが王の荷物になる事などないようにと、王になる運命を選んだリゾットを責める事など一度もないまま、優しさを貫いて全てを背負って姿を消した。
仲間達のいい兄貴分だった。彼の作る料理は何だって美味しかった。こちらの頭を撫でるのが癖だった。抱きしめてくれる腕に安堵を覚えた。いつも優しい口付けをくれた。今日みたいな寒い日は二人で眠るのがとても心地よかった。彼の笑顔が好きで、ずっと笑っていて欲しくて、ずっと、ずっと、傍にいたかった。傍にいられると思っていた。傍にいて欲しかった。
大好きだった。
堪えきれない涙がぽろぽろとリゾットの頬を伝った。
過去形になんてしたくもない。今だって好きだからこそ頬を伝う涙。だがこの想いを抱え続けたとて、もう彼の笑顔は見られない可能性の方が高い。グランシェフの王になる道を選んだ事で、フォンドヴォーの愛する人でいる権利を自らかなぐり捨ててしまったのだ。彼を好きでい続ける事だって、本当は禁じられた事なのかもしれない。フォンドヴォー自身がそれを許さないかもしれない。王になると決めたのならそれを貫いてくれと彼は言うような気がした。
こんな弱い姿を見られなくて済む事だけが、悲しくも一人になった利点だった。
「愛してる……愛してる、フォンドヴォー…フォンドヴォー……っ!」
その言葉を二人でいる時にもっと彼に伝えていたのなら、運命は変わっていただろうか。遅すぎる真実の言葉を後悔と嗚咽に混じらせながら、この日リゾットは一年前以来の号泣に膝を折った。

グランシェフに訪れた雪雲は一帯を覆い、数多くの街や村を真っ白に染めた。今彼がいる場所も同じ雪に包まれているかもしれない。そう思いたい。
いつの日か、王の名に恥じない人間になることが出来たなら。
その事が風に乗って、彼の元へと伝わりますよう。

それまでの間。想いを、時間をも沈めゆけ、静寂の雪。


END