vijore(フォンドヴォー×リゾット)



揺らぐ炎が闇を照らす。夜明けを告げる鳥の鳴き声はまだ聞こえない。
目の前の焚き火を見つめながら、リゾットは身体を包むマントを手繰り寄せた。
「冷え込むなあ」
コートの上から毛布を被ったフォンドヴォーが零した息がうっすらと白くなる。夜明け前の冷え込みが厳しいこの時期、キャンプの火の番は誰にとっても一仕事と言える。今日の夜明けまでの番はフォンドヴォーとリゾットがする事になり、熟睡している他のメンバーと焚き火とを見やりながら夜明けまでの時間を潰している所。
「……ふぁ」
小さく欠伸をし、リゾットが目を擦った。眠そうに目を瞬かせる表情はいつもの凛とした彼とは違う、年相応の少年のもの。むしろそれよりも幼く見えるかもしれない、可愛らしいとも言える仕草だった。
「眠い?」
「…ん。少し」
「何なら寝てもいいぞ。俺は大丈夫だから」
朝まで一人でも大丈夫だというフォンドヴォーの言葉にリゾットは首を横に振った。こういう所で他人に甘えたり、自分のするべき事を放り出したりしないのがリゾットの几帳面さ。そうだろうな、と心の中で重いながらフォンドヴォーは手にした木の枝をぱきりと折り、焚き火へと放った。
「ん?」
フォンドヴォーの座っている丸太に、一人分ほどの距離を空けて腰掛けていたリゾットがフォンドヴォーの真横に身を寄せていた。ぴたりとくっついた姿勢で、リゾットは小さく呟く。
「…十分だけ」
そう言うと同時に目を閉じてフォンドヴォーに重心を預ける。さっきは強がってはみたものの、リゾットを襲っている眠気は相当のものらしい。
「分かった」
かけていた毛布を広げてリゾットの肩に回し、フォンドヴォーが毛布ごとリゾットの肩を抱き寄せる。背中に回された腕の温もりに安心したのか、マントから覗く瞳がちらりとフォンドヴォーを見て微笑んだ。そのまま大きく息を吐き出すと、リゾットの呼吸が穏やかなものに変わってゆく。
互いに想いあう仲の二人。他の仲間達に気取られることなく続いている関係。二人きりになる時間もなかなかなく、手を繋ぐ事もそうままならない。こんな時間にこうやってちょっと甘えるのがリゾットにとっては関の山だった。いざ二人でいられる時間ができたら先に好きだと抱き締めるのはいつもフォンドヴォーの方だし、そんな彼の真っ直ぐな愛情表現は嬉しいを通り越して照れくさくて適わない。
そんなリゾットの照れ屋な所を知っていて尚、フォンドヴォーがリゾットに気持ちを伝える事を止める事はない。自身がリゾットを本気で好いているのは重々承知だし、逆に向こうがこちらに好きだと告げる事にまだまだ抵抗とためらいを感じているのもこの大人は分かっている。そんなあれこれをさておいても、好きを好きと言って何が悪い、そんな考えで日々リゾットの側にいるのがフォンドヴォーという男の常ゆえに。
「……」
柔らかい銀髪にそっと顔を寄せ、小さくリゾットの頭に口付ける。睡魔に負けたリゾットがフォンドヴォーのそんな行動に気づく気配は全くない。十分だけとリゾットは言ったけれど、もう少し寝かしてやってもいいだろうとフォンドヴォーは思った。しかし気を利かせたつもりで朝まで寝かせてしまうと逆に何故起こさなかったと怒られるので、それもほどほどにしようと思いながら。
リゾットが起きるまでの束の間の幸せ。何をするわけでもない。ただ、隣にいる愛しい温もりを感じながら過ごす時間。永遠に続くかと思う刹那。永遠に続けばいいのに、と思う一瞬。
決して、永遠に続くことはない今。
澄み渡った高い夜空を仰ぐ。輝く星の中でも目で捉えられる大きな輝きが先程よりも少し動いている。そうして確かに時間は過ぎ、冬は終わり、やがて春も来よう。
一行の向かう先はグランシェフ王国。父上、母上に顔を見せたいというリゾットの意見に皆が頷き、ちょっとした帰省気分の道中。それでもきっとリゾットの事だから、しばらくすればまた皆と旅に出るのだろう事は容易に想像がついた。そして皆も、そうなるものだと思っている。
けれど、それもいつまで続くのだろう。
「いつまで、か」
相変わらず細い肩。それでも、旅の間に過ごした時間が少年の瞳に以前よりもずっと強い意志を宿させているのは仲間の目から見れば明らか。リゾットならきっといい王様になる、仲間は皆そう口にする。そしてその期待に応えるべく頷き努力する、それがグランシェフの王子としてのリゾット。
そしてそれとは別に、フォンドヴォーにだけリゾットが見せる表情。一途で、無垢で、何よりも愛しいと思えるその笑顔を、今はこうして抱き寄せていられるけれど。
喉を締め付け始めた感情を抑えるように、フォンドヴォーが強く歯を噛み締める。それでも拭えない不安を押し隠すようにさっきよりも強い力でリゾットの肩を抱き寄せ、彼の頭に顔を埋めた。
今ここにある幸せ。愛しい気持ち。たったひとりの特別な人。だがこの小さな肩には、他の誰にも代わる事が出来ない運命が生まれながらに背負われている。彼が王になる道を選ぶ事に異論などないし、そのために自分が出来る事があるのなら何だってしようと思う。それは嘘ではない。愛しい人が幸せになるためだから。
だが、リゾットが王になる選択をするのと同時に、この時間は終わりを告げる。
自分一人の愛しい人ではなく、グランシェフ国民皆に愛される王が誕生する。
そうなったら。
この気持ちはどこへ行くのだろう。
そこで全てが真っ白になって、また仲間としてやっていけるのだろうか。
リゾットもそれを受け入れた上で、また自分に笑いかけてくれるのだろうか。
そんなはず、きっと、ない。
「…リゾット…」
愛しい名を呼ぶ。夢の世界にいる王子様には声は届かない。それで良かった。ほんの僅かな躊躇いも切なさも、彼に気取らせてはいけない。決して。
互いの手を取った時からフォンドヴォーには全て分かっていた。避けて通れない選択のある想いだと。だからと言って、別れに怯えて始まりを投げ出すのはリゾットの気持ちに対する冒涜でしかない。ほんの少し触れ合った気持ちに賭けてみたいと思ったのも本音だったし、何よりリゾットの笑顔が見られるのが素直に嬉しかった。
まだ、リゾットが自身の即位についてや二人のこれからについて話をしてきた事はない。多分自分を鍛える事で精一杯で、具体的な事にまで頭が回らないのだろう。むしろそれで好都合だった。現実というのは時間さえ来れば、否が応でも目の前に突きつけられるものなのだから。
ずっとそうであってくれれば。リゾットが悩まずに、苦しまずに、笑ってさえいてくれれば。
自分の悩みとか苦しさなんて、小さなものだ。リゾットの笑顔が全部掻き消してくれるくらいの。
そうであってくれたなら。
この事は自分ひとりで全て背負うと決めた。彼の荷物を自分は背負えない、だからこの想いだけは貫いてみせる。彼のためなら全てを投げ出せるし、終わりを告げられたっていいと思っている。
こんなにも愛しい。有り余る程の幸福を彼がくれる。全部分かっている。大切なひとの手を決して離しはしない。その時までは。
なのに。
どうして、苦しいなどと、我が儘な弱音を零す自分がいる?
「……ッ」
堪えきれずフォンドヴォーから零れた涙が一筋、リゾットの髪を濡らした。
愛しさが深い程、不意に胸を抉る刃は鋭さを増して襲い来る。こんな痛みを彼に背負わせる事は出来ない。只でさえ重い荷物をさらに増やす事などさせてなるものか。荷物になるくらいなら自分を捨てていってくれればいい。リゾットにはその権利がある。王たる宿命を抱いて道を行く彼になら。
けれどきっと、彼はそうはしないのだろう。最後の最後まで自分の手を引いていこうとするのだろう。優しい子だから。真っ直ぐな視線が、言葉にならない愛情を教えてくれる彼だから。
そんな彼だから、好きでいられる。目に見えない互いの想いを信じる以外に、選べる道などない。
だからせめて、どうかその時が来ても、自分の事でリゾットが苦しむ事なんてないように。
強く抱いていたリゾットの身体を離し、顔を掌で拭いながら深い溜め息をフォンドヴォーは吐いた。身体をもたせかけたままのリゾットが目覚める様子がない事に安堵し、また溜め息を吐く。
時々こんな風にやってくる恐怖は夜のせいなのか。いくらバンカーとしての腕を上げようとも、弱くなる自身の気持ちを払拭する事は出来ない。誰かに相談する事も出来ようはずがないし、結局の所選択をするのは自分達自身だから。
「それだけ、幸せだって事なんだけどな」
それも分かっている事なのにな、と苦笑した所でようやく心が落ち着きを取り戻す。まだ大丈夫。リゾットの心はここにある。自分を信頼してくれている。好きでいてくれている。大丈夫だ。まだ。
僅かに赤くなった目の痕跡が消えた頃、フォンドヴォーはちらりと仲間達を見渡した。誰の起きる気配もないのを確かめる。そっとリゾットの肩を抱き寄せると、唇を重ねて言った。
「王子様。時間ですよ」
「…ん」
キスに気づいたのかどうか。寝ぼけ眼の王子様は、恋人の腕の中でふにゃっと笑った。


叶わない願いを叫び続けるのは愚かな行為だろうか。
覆せない運命に立ち向かうのは馬鹿のする事だろうか。
愛しさという鎖が堅く、堅く、二人を結び続けるその間だけは。
冷たい夜に引き裂かれてしまうまで、せめて、この胸にやさしい時間を。


END