イレーネ 9(フォンドヴォー×Tボーン)



そして、夜は明ける。

「……ぇ?」
自分の身に何が起こったのか理解出来ず、Tボーンは何度も何度も目を瞬かせた。
フォンドヴォーに問われるままに彼の方に身体を向けると、首筋にフォンドヴォーの手が回された。その手が後頭部を撫で、少しだけ力が加わって顔が近付けられたと思ったら。
次の瞬間、頬に訪れたのはとてもやさしくて柔らかい感覚。
もしそれが勘違いでないのなら。
「な…なん…なんでだ?フォンドヴォー……?」
絞り出すような声で尋ねる。Tボーンの問いに、彼に口付けた当人は至極当然と言うように答えた。
「好きだから。Tボーンの事」
「す…っ!?で、でも、でもっ…」
耳を疑い、言葉は途切れる。嫌われる覚悟ばかりをしていたTボーンは百八十度違う展開に頭をついていかせる事が出来ない。
こんな事はするもんじゃない、そう言ったはずのフォンドヴォーからのキス、そして告白。夢でも見ているんじゃなかろうか、いや多分そうだ。フォンドヴォーを意識し過ぎて、自分が勝手に都合のいい夢を見ているに違いない。混乱したままの頭でそんな風に考えるTボーンを、フォンドヴォーの腕が優しく抱き締めて頭を撫でた。
「前に俺、男同士でキスはしないって言ったよな」
「うん。言った」
言われた事への確かな記憶がTボーンにかろうじて答えさせる。
「でも」
「……でも?」
上目使いにこちらを見上げたTボーンの頭を抱え込むように抱き寄せながら、フォンドヴォーが告げた。
「Tボーン、俺の事…好きになってくれてた、よな。ただの友達でも仲間でもなくて、それ以上に」
「………」
「違う?」
気付かれてしまっていた本心。もうここまできてそれを覆い隠す事など出来るはずもない。フォンドヴォーの腕の中で、Tボーンは肯定の為に小さく首を振った。
「すごく、すごく真剣に俺を好きでいてくれる人が側にいて。その気持ちが嘘なわけなくて。本当に好きでいてくれてる分、そのせいで…俺のせいで、苦しめて、傷付けて。…辛い思いさせて」
Tボーンを抱き締めるフォンドヴォーの腕にじわりじわりと力がこもってゆく。束縛の強さを増す腕の中で、Tボーンは視線を彷徨わせながら返した。
「フォンドヴォーのせいなんかじゃねぇ…オラが一人で勝手に、フォンドヴォーの事……勝手に……」
やさしいこの人を好きだと思った。最初は仲間としての好きだった。それがやがて、自分の中で膨れ上がって独占欲へと変わった。こんなのおかしい、みんなを好きな気持ちと違う。そう思ったのも確かだった。みんなと仲良くしたい、だから悩んで、悩んで、苦しくて。
「勝手なんかじゃない。すごく大切な気持ちを、Tボーンは俺に向けてくれた。…俺のどこがいいのかは分からないけど」
「フォンドヴォーはやさしいっぺよ!みんなにやさしくて、いつもにこにこしてて、オラフォンドヴォーのそういうとこ好……」
反射的に口にしてしまった好意を、Tボーンが語尾を濁して掻き消す。そんなTボーンの肩をぎゅっと抱き、フォンドヴォーは言葉の続きを促した。
「教えて。Tボーン」
「うぅ」
「駄目?」
フォンドヴォーの問い掛けにTボーンがノーと言えるはずはない。やがて小さな照れた声がフォンドヴォーの耳に届いた。
「…そういうとこ、好き…だ」
「有難う」
Tボーンの返事に、再びフォンドヴォーがTボーンの頬に口付ける。Tボーンの身体が驚きにびくりと震えた。
あたたかい。欲しいと望んだそれをフォンドヴォーが与えてくれる。けれど、何故。
「そんな風に苦しくさせて。俺が駄目だって言ったから、何でもないようなふりまでさせてしまった。嘘をつくのが苦手な人に、こんな痛々しい嘘つかせて…何がTボーンの為になるんだろうって。見てて…辛かった」
救いの手を差し延べられなかった後悔と懺悔がTボーンを抱き締める力へと変わる。
「…いつ、気付いたっぺか」
静かにTボーンの頭を撫で続けるフォンドヴォーにTボーンが問うた。
「んー…目の事があった時くらいかな。確信したのは、ここの時」
まだ治りきっていない右目にそっと触れながらフォンドヴォーが答え、そしてTボーンの右手首を握った。寝る時なのであの黄色のタイは巻かれていなかったが、Tボーンは明日も、その先もまたあのタイをここに巻くつもりでいた。
「ちょっ、ちょっとタンマ、フォンドヴォー」
「ん?」
「あの時って…今日の昼だっぺ?まだ半日も経ってないっぺよ?」
「そうだな」
「そうだなって…だって、これじゃ」
ついさっき気付いた相手の気持ちに、その日の夜に好きだと返事するなんて。あんまり都合が良すぎるだろうと言おうとしたTボーンに、フォンドヴォーが優しい声音で諭した。
「俺はTボーンの事、好きだから。大切だから」
「で、でも」
「もちろん、俺だって最初は皆と同じ仲間としての好きって気持ちだった。お母さんみたいだって言われたし、そういう風に信頼してくれてるんだろうって思ってたさ」
笑いながら、フォンドヴォーは両腕でTボーンの背中を包み込む。
「けど、Tボーンの中で何かが変わった。皆と同じように、俺に接する事が出来なくなった。皆と仲良くしたいのに、俺の事ばかり気になって、上手くいかなくて、苦しくなった」
「……」
「Tボーンは優しい。俺なんかよりずっと優しい。すごくいい子だ」
「そ、そんな事ね…」
「だから、好きになった」
「!」
「皆と楽しそうにしてるTボーンが好きだ。気持ち良さそうに寝てる顔も好きだ。だから、Tボーンが俺の事を見ててくれてるっていうのはすごく嬉しい事だって分かった。他の皆とは違う特別な好きなんだって、俺も気付いたから。…自分の気持ちに」
自分に向けられるフォンドヴォーの『好き』という感情に、Tボーンの胸の鼓動は今までにない程に早く高鳴ってゆく。
「好きだから、あんな風な思いさせたくなかった。Tボーンは優しいから、他の皆を大切に出来ない自分の事で絶対に苦しんでると思って」
決して届く事はないだろうと思っていた気持ち。自分ひとりで何とかするしかないと思っていた事。それにフォンドヴォーが気付いてくれていた事の安堵感が、Tボーンの目頭を熱くさせる。
「側にいたいって、思った。この優しい子の側にいられたら、俺はすごく幸せだって」
「…フォンドヴォー…!」
「Tボーンの一番になりたい。いつでも抱き締められるくらい側にいたい。…大好きだ」
フォンドヴォーのその言葉を聞いた瞬間、Tボーンの両目から涙が溢れ出した。自分の胸に顔を埋めてわあわあと泣き出したTボーンの背中を、慌てたようにフォンドヴォーがさする。
「お、おいおい。そんな泣かなくても」
「だっ…だって、嬉し…フォンドヴォーがオラの事、好っ……うあ、うあ、うあああああああぁぁー……!!」
Tボーンの涙としゃくり上げが一段落するまで、フォンドヴォーはそっとTボーンの背中と頭を撫で続けた。もう怖がらなくていいと伝えるように。全て受け止めるから、そう約束するように。
「大丈夫。もう一人じゃない。俺がいる。Tボーンの側にいる」
「本…当か?」
「ああ。本当だ」
「オラの好きは、皆と同じ好きじゃないっぺよ?」
「分かってる。俺だってそうだ」
「特別な、好き、だっぺよ。男同士なのに」
「でも、好きだって気持ちは嘘じゃない」
「…うん」
「嘘じゃないよ。俺の気持ちも。Tボーンの事が、大好きだ」
おいで、と言うように抱き締める腕。
「…好き…大好きだ、フォンドヴォー…!一番、一番好きだ…大好き…!」
「うん」
Tボーンの額、瞼、頬を辿ったフォンドヴォーの唇がやがてTボーンの唇と重なった。
「!!」
あまりにも優しくてあたたかな口付けにTボーンの呼吸が止まる。そっと唇が離れると、Tボーンはフォンドヴォーの肩に顔を埋めた。そうしなければ、頭の中がパンクして気を失ってしまいそうだった。
「フォ、フォンドヴォーと、本当にちゅーしちまっ…た」
「…嫌だった?」
Tボーンの可愛らしい言い方に笑いを零しながらフォンドヴォーが尋ねる。
「ううん…こんな、ふわふわして気持ちいいなんて思ってなかった…」
「お互い好き同士だからな」
自分を見つめる金色の瞳の優しさに吸い込まれるように、Tボーンがフォンドヴォーに唇を重ねた。ぎこちなく押し付けられたそれをフォンドヴォーが優しく食んで受け入れる。
「ん、ん…」
Tボーンから漏れた甘い声にキスの時間が長くなる。ひとしきり互いを確かめて離れた唇には甘い温もりが残った。全身をフォンドヴォーに預けると、Tボーンはいつになく穏やかな声で呟いた。
「もう、他のみんなと同じ好きじゃない…な」
「苦しい?」
「ううん。オラ、もう一人じゃねえから」
そしてフォンドヴォーの首にぎゅっとしがみついて、笑った。
「フォンドヴォーとオラだけの内緒だもんな」
最高の笑顔を見せたTボーンに、フォンドヴォーはこの後数え切れないくらいのキスを与えた。

長かった夜が明ける。確かな温もりと共に。
右目が完全に治ってからも、Tボーンは黄色の布を手首に巻き続けたという。
その意味を本当に知る、ただ一人の為に。


END