イレーネ 7(フォンドヴォー×Tボーン)



束縛なんて、窮屈なだけだと思ってた。

「おー、聞いてた通りの賑わいだな」
人でごった返す街の大通りにいつもの一行の姿。フェットチーネ達との戦いからしばらくが経つ。ようやく到着した港町オリーブでしばらく休憩を取ろうという事になり、宿だけ先に確保してコロッケ達は街中へと出てきていた。
「うわー、何かおいしそうなものがいっぱいある!オレあの串焼き食べたいー!」
「あ、こら!そのジューシーな肉はオレ様が目をつけてたんだぞ、待てコロッケー!」
「二人ともずるいでっす!僕も食べたいでっすよー!」
食欲に駆られるままに全力ダッシュで行ってしまったコロッケ、プリンプリン、キャベツを見送りながらウスターが呟いた。
「あーあ。お子様達放っとくと何するかわかんねーな。しゃあない。フォンドヴォー、五十カネー貸してくれ」
「仕方ないな。…頼んだぞ」
ちびっ子の食事代込みの駄賃を受け取る事でウスターが三人の保護者役を買って出る。人ごみにウスターが消えるのを見送り、リゾットがTボーンに声をかけた。
「オレ達も色々見て回るか。Tボーンはどうする?」
「えっ?あ、オラはその…洋服とか見に行くかな。そろそろ汚れてきちまって」
「そうか。オレはどうするかな」
「リゾット、もし用事がないなら一緒に来てくれないか。買い出しをしたいんだ」
フォンドヴォーの依頼にリゾットが頷く。
「ああ、分かった。じゃTボーン、また後でな」
「う、うん。またな」
フォンドヴォーとリゾットが雑貨を売っている店の方へと歩いていく。成り行きで一人になった事におかしな安堵を覚えつつ、Tボーンはゆっくりと歩き出した。
一人で何かがしたい訳ではない。けれど、みんなと一緒にいるのはちょっとだけ疲れる。なんとなくその理由にも気づいているけれど、そんな事を表に出すわけにもいかない。やられた右目は少しずつ良くなっているけれどまだ半分開くかどうかと言った所。人ごみの中で色々物を見るにはちょっと難儀する。この傷跡を見る度に頭を撫でてくれる人のためにも、早く治してしまいたかった。
ぼんやりしながら歩くうちに洋服の出店へ辿り着いていた。リゾット達にああ言った手前もあるので服を眺める。
「手袋、買い直すかなあ」
籠に盛られていた丈夫そうな手袋を一つ手に取り、はめてみようと試みる。愛用の手袋を外そうとした時、右手袋の下にあるものの存在にTボーンの手が止まった。
「………」
右の手首を手袋ごと握って俯いていた、その時。
「お。何かいい服あったか」
「!?」
背後から聞こえた声にTボーンの身体が跳ね上がった。振り向けばそこにはフォンドヴォーの姿。
「フォ、フォンドヴォー。もう買い出し終わったっぺかっ」
「ああ。食品の類は夕方になった方が安いらしくてな。雑貨だけ買って、リゾットに持ってってもらったんだ」
難なくTボーンの横に並び、フォンドヴォーが洋服を眺める。オレンジ色のシャツを手に取り、Tボーンにあてがって言う。
「Tボーンには明るい色が似合うな」
「…そかな」
Tボーンの足が後ろへと動く。フォンドヴォーから離れるようにして別の店へと足を向けた。その後をフォンドヴォーが追ってくる。
「腹すかないか。何か食べよう、俺がおごるから」
「……」
人ごみの中に他の仲間達はいない。これだけ沢山の人の中でフォンドヴォーと二人。彼はこちらから離れる様子はない。二人だけの時間。居心地の悪い空間。
怖い。
「オ…オラ、やっぱり帰る。まだ何かこっちの目がチリチリすんだ」
「Tボーン」
「ごめんなっ、フォンドヴォー。また今度おごってくんろ」
理由をつけて彼の誘いを断った。宿の方角は本当はよくわからない。とにかくそこから離れたくて細い路地へと身を投じる。後ろを振り返る事はしないで、道なりにただ走り続けた。いくらか走った所で、路地裏に置いてあった木箱に手をついて荒くなった息を整える。
思い通りになってくれない心。こんな自分に笑顔で接してくれるフォンドヴォー。彼のやさしさが大きくてあたたかいほど胸の苦しさが増してゆく。ずっと見ていたい笑顔から目を背けたくなる。そして、こんな風に逃げ出して。
目を強くつぶり頭を大きく振る。と、靴の踵に誰かの足が当たった。路地を通ろうとしていた人がいたのだろう。
「あ、ごめんなさ…」
顔を上げて言葉を失う。
いつの間に追いついたのか。フォンドヴォーが、どこか物憂げな顔でこちらを見ていた。
「あ…っ」
「Tボーンっ」
息を飲み、反射的に走り出そうとしたTボーンを、背中からフォンドヴォーが両腕で抱きしめる。Tボーンの腰から肩に強く腕を回し、彼の肩に顔を埋めた。
「フォ、フォンドヴォー…!離してけろっ」
「どうして逃げるんだ」
フォンドヴォーの言葉に、もがいていたTボーンの動きがぴたりと止まる。
「に…逃げてなんかないっぺよぉ。オラ、宿に戻ろうとしただけで」
「避けられてる。最近」
逃がさない、そう言うかのようにフォンドヴォーの腕に一層力がこもる。こんなにも強い力で抱きしめられたのは初めて。耳元で聞こえる声がとてつもなく甘く響く。フォンドヴォーはただ仲間としての自分を引き止めたくてこんな風にしている。でも、自分にとってこの距離は近すぎる。ずっとこんな近くにいられたら、どうにかなってしまう。
「そんなこと…ねえ」
違う。避けてなんかない。だからお願いだ、この腕を解いて。
「じゃあ、一緒に行こう。Tボーンの食べたいものを食べよう。俺も一緒に食べたい」
「!」
そう言ってフォンドヴォーがTボーンの手を握った。優しく握られた右手。共にいようという彼の意思。それを振り払うようにTボーンが腕を振るう。
「だ、めだ…やっぱオラ、一緒に行けねっ」
「Tボーン!」
精一杯仲間として振る舞おうとしても、身体と心とが怯えに駆られて彼から逃げようと叫びだす。怖い。彼のやさしさが怖い。醜い自分を見つけられてしまうのが怖くて仕方ない。力任せに路地から飛び出そうとするTボーン。彼の右手をフォンドヴォーが強く掴むと、勢いで手袋がするりと抜けた。
「!!」
「…Tボーン、それ」
手袋が外れ、Tボーンの右手首に現れたものにフォンドヴォーが手を伸ばす。再び彼が逃げないように背中に腕を回して抱き寄せながら、そっとTボーンの右手首をとった。
Tボーンの右手首には黄色の布が巻かれていた。手袋で隠されてしまえば見えないそれには微かに血の跡が残っている。あの時フォンドヴォーが止血のためにと引き裂いたタイに違いなかった。
「へ…へへ。なんか、捨てるのもったいなくって」
掴まれた手首をちらりと見た後、視線を真下に向けてTボーンが呟く。
「フォンドヴォー、強いから。オラもフォンドヴォーみたいに強くなれたらいいなあって、それで」
「…Tボーン」
「……お守り…だっぺよ」
顔を上げ、Tボーンが笑った。ちゃんと笑えた、そう思った。
「あー、恥ずかしいなあ!フォンドヴォーに見つかっちまった!ひゃー!」
「あ」
大声で言いながら、フォンドヴォーの手からTボーンが手袋をひったくる。巻かれたタイを隠すように手袋をはめるとフォンドヴォーから距離を取る。
「他の皆には内緒だっぺよ!?なんか、こんなの、オラのガラじゃねえし」
フォンドヴォーは路地に立ち尽くしたまま。先程までのようにTボーンを追ってこようとはしない。
「へへへ…勝手にごめんな!そうだ、このタイを返さなくちゃだ!何かいいの探してくるっぺよー」
「あ…ああ」
「じゃーな、フォンドヴォー!また後で!」
その場から動かないフォンドヴォーにまくしたて、Tボーンは再び人ごみに姿を消した。
「………」
顔を撫で、何事か言おうと唇を僅かに動かす。フォンドヴォーは壁にもたれて視線を伏せ、大きく溜め息を吐いた。

人をかきわけながら通りを走り抜ける。行く先など考えずにめちゃくちゃに走った先、Tボーンは公園の茂みの奥で身を縮めていた。身体が震えて止まらないのは寒さのためではない。
「…フォン……っ…」
右手首を力任せに握る。これを見た時の彼の表情がまるで写真のように脳裏に焼きついて。あの時フォンドヴォーは、呆れたようにこっちを見ていた。
自分の勝手な気持ちなのは分かってる。それが迷惑になるのも分かってる。
けれど、これはたった一つ、たった一つの自分とフォンドヴォーとの絆。他の仲間は持っていない、自分だけの宝物。
見られてしまった。何て思われただろう。気持ち悪い奴だと思われただろうか。それでも、このタイを外す事が出来ない。すがっていたかったから。彼のくれる友情に。
これがあればこの先がなくたってやっていける。そのための鍵にする。それだけ、許して。フォンドヴォー。
「大丈夫…大丈夫、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫…オラ、オラは、一人じゃね…」
まじないのように繰り返す。フォンドヴォーは自分を気にしてくれた。ちょっとびっくりしたけど、優しく抱きしめてくれた。皆に見られなくて良かったな。もう子供じゃないんだから、あんなにひっついたりしたらちょっとおかしい。
コロッケ、リゾット、ウスター、プリンプリン、キャベツ、フォンドヴォー。みんな大好きだ。これからも一緒に。一緒に。
握り締めた手首に涙が零れた。必死で歯を食いしばって、声は出すまいと我慢した。かさぶたになっている右目がぐしゃぐしゃになる。それでも、そこを勢いで擦らなかったのは幸いだった。これ以上目の回復を遅めるわけにはいかない、そんな意識が心の奥底にあったからだろう。
宿に戻るまでにこの気持ちを全部流してしまおう。そうしたらきっと笑える。ここにフォンドヴォーの気持ちがあるんだ。大丈夫。頑張れる、強くなろう。大丈夫。
斜陽が赤く染め行くオリーブの街に、Tボーンの嗚咽が霞んで消えた。