イレーネ 2(フォンドヴォー×Tボーン)



ふわふわ、幸せで温かい夢を見る。
それはこのぬくもりが自分を包んでいてくれるから。

「…ぅん」
目を擦り、深く沈んでいた意識を引き寄せながらTボーンが小さく声を上げる。灯りの消えた部屋には虫の声だけが静かに響いていた。大きく息を吸い込み、肩に回されている腕の感触を確かめる。
「へへ」
知らず知らずのうちにTボーンから笑みが零れる。すぐ隣でフォンドヴォーが寝息を立てている事がその理由。こないだの約束以来二人部屋に一緒に泊まるごとにこうして同じ布団で眠るようになった。彼はTボーンが眠るまで静かに頭を撫でてくれる。そうされるのがとても嬉しい。それが自分とフォンドヴォーだけの秘密であることが、Tボーンをもっと嬉しくさせる。フォンドヴォーの静かな心臓の鼓動を聞きながら眠るこの時間が、今のTボーンの一番の楽しみになっていた。
そう言えば、夜中に起きたのなどどれくらいぶりだろう。睡眠第一主義のTボーンには珍しい事だ。そして、Tボーンが起きているのにフォンドヴォーが眠っているというのは、ひょっとしたら初めてかもしれない。
「フォンドヴォー?」
名前を呼んでも彼が起きる気配はない。フォンドヴォーの腕の中でじっとしていたTボーンだったが、やがて両腕をフォンドヴォーの首へと伸ばし、互いの身体をより近づける。規則正しく繰り返されるフォンドヴォーの吐息が近くなる。いい匂いの紅い髪に顔を埋め、Tボーンは静かに目を閉じた。
腕に少しだけ力を込め、ぎゅっとフォンドヴォーにしがみつく。それでも彼は目を覚まさない。たった二人きりでこんなにも近くにいるという事。他の仲間達とは少しだけ違う距離を、フォンドヴォーが許してくれた。嬉しい。
「………」
フォンドヴォーの頬にTボーンが手を添える。そう誰もが触れる事はないだろう彼の顔。フォンドヴォーの首筋に埋もれさせていた顔を、Tボーンは手を添えていない方のフォンドヴォーの頬へとすり寄せた。自分の鼻先と頬をそっと押し付け、今までにない感覚を確かめる。唇で触れたフォンドヴォーはとてもあたたかかった。ずっとそうやって触れていたいあたたかさだった。
その時Tボーンの胸を掠めたのは、ほんの小さな無意識の罪悪感。
「いけね」
反射的に呟いて、そそくさとフォンドヴォーの胸元に顔を埋めた。安心できる鼓動が耳に響く。口元をほころばせ、Tボーンは再び目を閉じる。目が覚めたらきっとまた、フォンドヴォーが頭を撫でておはようと言ってくれるから。
これからも、ずっと優しい彼の側にいられるんだ。
そう、思っていた。

がったん、ごっとん、がったん、ごっとん。田舎のでこぼこ道を行く馬車の荷台は道の轍を掠めるたびに不規則に揺れる。
「親切なおじさんがいて助かったっぺなあ」
その不規則なリズムに心地よさを覚えつつ、細くたなびく雲を見上げてTボーンが足をぶらつかせた。
「そうだな。この調子なら一時間もしないで着けるんじゃないか」
Tボーンと一緒に揺られながら、フォンドヴォーものどかな風景を眺める。
次の街へ向かう途中、目的地とは別の方向にある村に手紙を届けて欲しいと頼まれたコロッケ一行。わずかばかりのお礼のカネーでこの話を引き受けたのはフォンドヴォーだった。後で追いつくから皆は先に行っててくれと言うと、一人じゃ退屈だろうと理由をつけてTボーンがついてきた。二人で手紙の届け先へ向かっている途中、藁や木材を荷台に積んだ馬車からおじさんが二人に声をかけてきた。この先の村まで行くから荷台で良ければ乗っていきゃいい、旅は道連れだ、と。
そんなわけで二人は荷台に座らせてもらい、目的地へ着くのを待っているところ。重い棺桶を荷台に転がしたフォンドヴォーが、そのまま藁の小山に身体をもたせかけた。その横へ座り、同じようにTボーンも藁に身を埋める。
「あんまりぺしゃんこにしちゃうとおじさんに悪いな」
「だっぺな」
そう言ったフォンドヴォーは少し身体をずらし、荷台の開いた部分に身体を横たえさせる。そこにまたTボーンが同じようにくっついてきて、いつも布団で寝る時のようにフォンドヴォーにしがみついた。
「眠いか?」
「ううん。眠いんじゃなくて、こうしてたいんだ」
フォンドヴォーの腕の中でTボーンがにこりと笑う。その笑顔にフォンドヴォーも頭を撫でて返した。と、Tボーンの腕がフォンドヴォーの首に伸びる。そっとフォンドヴォーの頭を抱えるように抱きつくと、フォンドヴォーの頬に顔を寄せた。
「て、Tボーン?」
柔らかく頬に触れたのは唇の感触。予想していなかったTボーンの行動にフォンドヴォーが大きめの戸惑いの声を上げると、Tボーンはそこでようやくはっとした表情になり、フォンドヴォーを見つめた。
「あ…」
「ど、どうしたんだ急に」
身体を起こしながら尋ねるフォンドヴォーの声はまだ微かな驚きを滲ませている。フォンドヴォーの反応に、ずっと嬉しそうだったTボーンの表情がほんの少しだけ曇った。
「……だめ、だったっぺか」
「ん。いや…ええと、駄目じゃない…んだが。ちょっとびっくりした」
いつものように、Tボーンからすれば好きな相手に口付けるというのも素直な愛情表現なのだろう。だが、まさか自分がそういう風にされるとは思っていなかった。挨拶のキスは男同士でもあるが、彼の行動は多分それではない。ならば少し教えておいた方がいいかもしれない、そう思いながらフォンドヴォーは言葉を続けた。
「近くにいたいって思ってくれるのは嬉しい。うん、でも…キスをする相手は、ちゃんと選んだ方がいい」
「キス?相手を選ぶ?」
きょとんとした顔でおうむ返しに尋ねるTボーンにフォンドヴォーが諭す。
「ああ。公式な場での挨拶ででもなければ、あまり男同士でキスってのはしないもんだ。頬へにしろそうでないにしろ、本当に好きな相手…大好きな娘ができたら、その時にすればいいんだ。俺にじゃなくてな」
「………そうなんだっぺか」
「Tボーンにされるのが嫌だとかそういうんじゃないぞ。好きでいてくれるのは嬉しい。ただ、その好きって気持ちを現すのに、普通はこういう風にはしないって言うか…うーん、上手く言葉が出てこないが」
俯いてしまったTボーンの頭を撫で、フォンドヴォーは相手の反応を伺いつつ話を進める。素直なTボーンの事だ、こんな事は駄目だと言えばきっと傷ついてしまうだろう。好意の線引きを上手く覚えて欲しい、そう思いながらフォンドヴォーはTボーンの頭を撫で続けた。
「…分かった。こういうのはみんなにする事じゃないんだっぺな」
「そうだな。本当に好きな人にだけ、だ」
「うん」
「兄さん方!村が見えたで、あと少しの辛抱だ」
「あ、はい」
話が一区切りしたのと同時に、馬車を走らせていたおじさんが二人に声をかけてくる。穏やかに続いていた野原の向こうに、小さな集落が見え隠れしていた。
(今の話、聞かれてなかっただろうな)
妙な誤解でもされていないだろうかとフォンドヴォーは小さく肩を竦める。それでもまあ、こんな事でもなければこういう事を教える機会もなかったに違いない。これからもTボーンとは仲良くやっていきたいからこその話だし、彼もきっとそれは分かってくれるはず。
「腹へったっぺなあ」
「俺もだ。手紙を届けたら、食堂でも寄って美味い物でも食べていこう」
「おっ、いいっぺな!」
そんな会話をしながら、二人は村に到着するまでもうしばらく、荷台で揺られ続けたのだった。

「…………」
コロッケ達に追いつき、いつものように交代で火の番をする夜。自分の番は終わって―――Tボーンがずっと番の間起きていたので、一緒に組んだキャベツがやたらと不思議がっていた―――、Tボーンはキャンプから少し離れた崖に立ち、冴え冴えとした三日月を眺めていた。今はコロッケとフォンドヴォーが火の番をしている。
涼やかな風が谷を渡っていく。だが、静かな周囲の気配とは裏腹に、自分の中に今までになかった感情が生まれた事にTボーンは気づいていた。
「駄目なんだっぺな。…あんな風にしちゃ」
どことなく感じてはいた。眠っている彼に顔を寄せた時に感じた「いけね」はこれだったんだ、とも思う。だから彼はそれを教えてくれた。いつものように優しく。あれから二人だけで村の名物料理も食べた。美味しかった。でも多分、彼が作る料理の方が自分にとってはご馳走なんだろうけれど。
歯を噛み締める。胸の奥にことりと落ちた気持ちの欠片は、妙な違和感を生じながら身体の奥底に根付いていくようで。
優しいフォンドヴォーの言葉。母のように兄のように自分達を見守る彼だから、側にいたいと願う。他の誰に対してよりも自分の心が彼に向いている事を、Tボーンはよく知っている。
よく知っているからこそ、感じてしまった痛み。
これ以上は近くにいられないんだ、そう言われてしまった事。
例えばどんなに、Tボーンがフォンドヴォーに想いを傾けたとしても、それは。
「…駄目………か」
困らせる事はしたくない。今までどおりなら、きっとこれからも上手くやっていけるんだ。きっとできる。フォンドヴォーと、みんなと、今までみたいにずっと。
「大丈夫だ。…大丈夫」
弱気な自分なんて見せる訳にはいかない。頬をぱんと叩くと、Tボーンはフォンドヴォー達のいるキャンプへと戻った。
彼がいるなら大丈夫だ、そう信じていられたから。