マカロニ(ソフモヒ×糸目)

<登場人物紹介>

飛立錬
糸目。案砂大2年生、食物栄養学部所属。
元々料理が好きで食物栄養学部に入ったが、実験で使われるマウスが可哀想で注射器を片手に涙目な日々。
穏やかな性格で誰からも好かれている。「テレンティウス」の名前に興味を持ってから歴史好きに。
クイズの得意ジャンルはグルメ・生活、地理・歴史・社会。

和久田智則
ソフトモヒカン。案砂大2年生、薬学部所属。
周囲に比べるとやや寡黙だが自分の考えはしっかりと持っていて、情熱を傾けるものへの気持ちは人一倍強い。
時々アコギを持ち出して人気のない学生ホール前で弾き語りをしている事がある。
実験の最中にスコアを思いついて実験を放り出しそうになるのが玉にキズ。
クイズの得意ジャンルはエンターテイメント、自然科学。


がっ つん。

衝撃に一瞬目の前に火花が散り、それが自分の身に起こった事なのだと理解するのに三秒ほど要した。
「あいっ……たぁ……!!」
遅れてやってきた痛みに、ぼくは額を押さえてうずくまる他なかった。

「おい、どうした? 大丈夫か」
動かなくなったぼくの気配を察したのだろうか、遊びに来ていたともくんこと和久田智則が台所――と言っても男子学生の一人暮らしなので、廊下にコンロと流しが据え付けてあるだけのスペースだけど――にやってくる。額を押さえているぼくの手をそっとどけた彼が、傷口を見て眉をしかめた。
「血が出てるぞ、どこで切ったんだ」
「うん……そこのグラタン皿を取ろうとしてて、角の金具がぶつかっちゃったみたいで」
今日の夕飯はマカロニグラタンとトマトとベーコンのスープ、レタスとアスパラガスのサラダ。二人分と思って茹でたはずのマカロニがずいぶん多くなってしまったので、余った分はスープの具にしてしまうことにした。グラタンを盛り付けるためのグラタン皿を取り出そうと脚立をひっぱり出し、それに足をかけてコンロの上の戸棚を開けようとしたぼくの額に、戸棚の扉の角の金具が勢いよくぶつかったわけ。
「痛かっただろ、デコ直撃じゃ。何か拭けるような……ウェットティッシュとかないか?」
「あー、えーと、テレビの横の棚のボトルが並んでるところに、エタノールがあるんでお願いします」
グラタン皿は後で出そう。一度脚立を降り、ぼくは自室へ戻って勉強机の横の椅子に腰をおろした。
「家にまで消エタ置いてるのか、学校でもないのに」
「使いやすいじゃないですか、だからつい買っちゃうんですよ」
大学の実験関係で使い慣れたエタノールを手にしながら、薬学部の彼は小さく苦笑した。
「気持ちはわかるけどな、掃除にも使えるし。……少し染みるかもしれないけど我慢しろよ」
消毒用エタノールをティッシュに染み込ませ、ともくんはそっとぼくの額を拭いてくれた。
「あいてて」
ひりりとした痛みが眉間から感じられる。ぼくの傷を拭いてくれたともくんは傷跡を見て、う、と小さく漏らした。
「けっこう強くぶったろ、穴になってまた血が出てる。絆創膏貼る方がいいかもしれん」
「え、本当ですか。えーと……じゃあこれを」
ぼくが机の引き出しから取り出したのは、傷を速く治す絆創膏。弾力のあるゴムのような素材で作られたそれは普通の絆創膏とは異なり、血液やリンパ液を吸い取りかさぶたを作らないようにする。結果傷口が新鮮に保たれ、皮膚の再生を促進するというもの。
「ああ、これか。薬局で見た事ある」
「高いんですけどね、実際に使ってみたら効果はありましたよ。一回貼れば何日か貼りっぱなしで大丈夫なんで」
「分かった。貼るからじっとしてな」
ともくんは絆創膏の裏紙をめくると、丸い絆創膏をぺたりとぼくの額に貼ってくれた。
「ありがとうございます」
「チャクラだな、これ」
そしてくりくりと指先で絆創膏を押す。少し楽しそうだ。
「あう、そこ傷なんだから押さないで下さいよ」
「結構目立たないんだな。テレンは前髪で隠れるし、いいか」
ぽんぽん、と椅子に座ったぼくの頭を撫で、ともくんは少し呆れたような、でも優しい声で言った。
「気をつけろよ」
「ごめんなさい」
「あと、俺には敬語とか丁寧語もなくていい」
「うん……分かってるん……だけど」
ぼくを好きだと言ってくれた彼。突然の告白にとてもびっくりしたけれど、真剣な彼の想いに向き合いたいとぼくは思った。それ以来こうして二人だけでいる時間を作って、彼の事も皆が呼ぶ『和久さん』ではなく、『ともくん』と呼ぶようにしている。でもまだ、彼が望む距離まで、ぼくは近付けてはいないんだろう。
ぼくがもっと器用だったら、彼をもっと幸せにできるんだろうけど。
「いい。それがテレンのいいところだもんな。無理に変えようとしなくていい」
視線を合わせるように腰を屈め、ともくんはぼくの顔を見つめながらまた微笑んだ。
友達という距離から一歩踏み出してみて、初めて見る彼の表情がいくつもある事に気付かされる。いつもは物静かに皆の事を見渡すようなポジションにいる『和久さん』が、ぼくの隣ではにこにこと笑って、頭を撫でてくれる『ともくん』になる。
やさしいひと。
もっとこのひとの近くにいられるように、変わっていきたいと願う自分がいる。
「ぼく、頑張りま……頑張るよ。ともくんが一緒にいたいって思えるような……その、相手、に、なれるように」
「俺が一緒にいたいのはテレンだけだぞ?」
当然だろ、という顔で言われて、ぼくはまた言葉に詰まる。
「あっ……うん、そっか……そうだね、ぼく……うん」
彼にとっての当たり前を理解しきれていないぼく。どこまでもぼくだけを必要としてくれるともくんの気持ち。とても嬉しいけれど、こんな奴でいいんだろうか、という気持ちを拭いきれない。
「テレン」
「ん」
「おまじないをかけてやる」
ともくんはそう言うと、また指先でむにむにとぼくの額の絆創膏をつついた。
「うー、何のおまじない?」
問い返したぼくの頬に、そっと彼の手が触れる。
そのままごく自然に引き寄せられて、とても柔らかくてあたたかいものが触れた。ぼくの、唇に。
「ふぇ……っ!?」
突然の、そして初めての彼とのキスに、ぼくは口を押さえて彼を見つめる事しかできなかった。
ともくんはにっと笑って立ち上がり、台所へと歩きながら振り返って言った。
「もっと一緒にいたくなるおまじないだ」
そう言ってぼくに背中を向けながら、ともくんは少しだけ頭を掻く。
「……ずるいなぁ」
小さな声で彼に聞こえないように呟く。
おまじないのせいで、ぼくの心臓はさっきより遥かに速いスピードで脈打ち始めていた。
「で。後はグラタンを作ればいいんだな?」
台所で鍋を覗きながらともくんがぼくに尋ねた。
「あ、うん、スープも少しあっためた方がいいね。ぼくがやるから……」
「これを皿に盛ってチーズをかけて、レンジをオーブンにして焼けばいいんだろう。何分くらいだ?」
俺にやらせとけ、というように料理の手順を確認する彼。額に傷を作ったぼくへの彼なりの労りなんだろう。
「うん、じゃお願いします。チーズは冷凍庫の中にあるピザ用のをそのままかけていいんで。オーブンは……余熱してないけど十五分くらいかな。チーズが焦げ始めればそこで出しても大丈夫。あ、流しの下の引き出しに鍋掴みも入ってるから」
「分かった」
ぼくより十センチ背の高い彼は脚立なしにグラタン皿を戸棚から取り出し、手際よく盛り付けを始める。
ほどなくして部屋にはチーズのいい香りが漂い、ぼくらはあつあつのグラタンとスープをお腹いっぱいになるまでほおばったのだった。
マカロニよりも、ともくんの唇の方がやわらかくて気持ちよかった……けどね。

くつくつ、弱火でスープを煮込むように。
ぼくらの日々は始まっていく。


END