ハートにご用心 2(ヒゲ×ロン毛)

控室に入った時の相手の反応は予想通りのものだった。
「対戦前に相手の控室に来るって……いくらチーム員同士だって、反則じゃないの?」
「仕方ねえだろ、かりんの奴がお前にってこれ持たせたんだからよ」
「って、めちゃくちゃ食べてるし。マドレーヌもう五個目って、早っ!」
本をめくっていた手を止め、呆れた表情でライノを見つめるいつき。彼の目の前の対戦相手は次の試合の事など気にする様子もなく、持ち込んだ菓子の箱を嬉しそうに開けるとおやつタイムに突入した。
「俺の分とお前の分混ざってるからよ。欲しいんだったら今のうちに食っとけ」
「本場前にお菓子食べる余裕ないよ……」
こりゃ僕の分のお土産は残らないかも、と内心諦めながらいつきが小さく溜息を吐いた。その向かいでは相変わらずのペースでライノが土産を腹に放り込んでいる。
「ふー、食った食った」
ひと心地ついたらしいライノがゴミを片付け――最低限のいつきの分の甘味は横によけてあったが、多分その三倍くらいの量を彼が食べてしまっていた――、再びテーブルを挟んでいつきの正面のソファーに座った。
「最近どうした。調子良くないみたいだな」
比較的真面目な口調でチーム員に尋ねる。何気ない様子で手にしていた本を開き、ページを繰りながらいつきがライノの問いに答えた。
「……そういう時もあるよ」
それが何か? と言いたげに、いつきが眼鏡を小さく押し上げた。今日の彼は趣味・雑学の博士の衣装を着ている。普段なら語学・文学の探偵の衣装なのだが、最近の語文の正解率の低さが影響して得意ジャンルが変わったのだろう。
「そろそろ収録だよ。控室戻るかスタジオ行くかしたら?」
「仲間の心配して何が悪い」
手を組んで身を屈めた姿勢からライノがいつきの様子を伺う。落ち込み気味の成績に理由があるのなら、それを何とかしてやりたいと思った。ライバルとはいつだって全力でぶつかりたいと思う、それがクイズプレイヤーとしてのライノという男の常。
「……余裕だね。僕なんかには負けないってか」
ライノの心配を『今の弱いお前になら負けはしない』という意味に曲解したのだろうか。苛立ちを滲ませたいつきの声をライノは聞き逃さない。
(俺の言葉につっかかってくるか。らしくねえぞ、どうしたいつき)
同じチーム員の敦史や和久田に比べれば穏やかな性格で、およそいつきが怒っている所などライノは見た事がない。勝負の局面にあっても冷静に勝機を探すタイプの彼が、どうしてこんなに苛立ち、そして焦っているのだろう。
眼鏡を外して本と一緒にテーブルに置き、目を閉じてふーっと息を吐く。数秒の後、いつきは目を見開くとライノを睨み付けた。
「悪かったね、心配されるほど無様な戦い方してて。次の試合で勝てば十五連勝アンサーだっけ? ちょうどいいじゃない、今の僕相手なら称号ゲット確実だよ」
「お前な」
何をそんなに自虐的になってるんだ、という言葉をライノは喉で飲み込む。いつきの言動は負けが込んできたプレイヤーの思考パターンにありがちな反応だ。一度ツキに見放され、そこから悪循環が始まってしばらく続く事もある。そこから脱出するのは容易な事ではないが、焦ってしまってはますます自分で悪循環を呼び込む事になる。いつきだったらその事は分かっているはずだろうに。
「……ごめん。言い過ぎた」
手で顔を覆い、目を揉みほぐしながらいつきが呟く。自分の言動がいつもより攻撃的だったと気付いたのか、ばつの悪そうな表情でライノを見た。
「あんまり焦るんじゃねえぞ。実力が出せなくなるだけだ」
「うん…………あれ?」
ライノの言葉に頷き、テーブルの上に手を伸ばしたいつきが気の抜けた声を上げた。本の近くで手を動かしているが、探しているそれが見当たらないらしい。
「……? これか?」
席を立ち、いつきのすぐ横から手を伸ばしてライノは眼鏡を取りいつきに渡す。
「あ、ああこれ、ありがとう」
「お前、目悪かったのか。いつもはコンタクトか?」
「そうだよ、基本的にコンタクト。眼鏡は家でかけてる」
「って、その眼鏡は衣装のだろ?」
「そうなんだけど……アンサー協会の人達がわざわざ度入りで作ってくれちゃったんだよ。コンタクト使うからいいって言ったのになあ」
眼鏡をかけ、博士帽をかぶりながらいつきが苦笑いした。妙な所で衣装製作にこだわりを見せるアンサー協会員なら度入りの眼鏡もお手の物なのかもしれない。近眼といういつきの特徴をひとつ知ったライノがいつきの顔を覗き込み、彼がかけた眼鏡をひょいと取り上げた。
「んっ? ちょっと、何するの」
「ふむ」
目をぱちくりさせているいつきに再び縁の厚い眼鏡をかけさせ、その顔をじーっと見つめながらライノが言った。
「うん、眼鏡も似合うな。今度店にもそれで顔出せよ」
「え、ええ!? やだよそんなの」
「一度くらいいいだろ。どんな眼鏡使ってるのか見せてくれたっていいじゃねえか」
「……やだ」
視線を逸らし、口をつぐんだいつきの横顔が次第に紅潮してゆく。
(……照れてる? さっきまで怒ってたのに)
今までに見たことのない反応を示すいつきの態度の理由が分からず、ライノが一層身を乗り出していつきの顔をじっと見つめた。
「ちょっ……なんでそんな近づくのっ」
「何でって、お前こそどうしてそんな顔赤くしたりしてんだよ」
「赤くなんかなってないよ!?」
「声裏返ってるじゃねーか」
う、と言葉を詰まらせ、いつきは所在なさげに視線を彷徨わせ続ける。
「まあ、眼鏡と素顔とどっちがいいかなんて人それぞれだしな。褒めたつもりだったんだが、冷やかしに聞こえたんならすまん」
「……別にいいじゃない。僕なんて」
「ん?」
「あれだけ沢山、応援してくれる人がいるじゃない」
沈んだ口調でそう言うと、いつきは視線を膝に落として沈黙してしまった。彼の言う応援してくれる人は、多分会場でライノが勝利する度に声援をくれるファンの事を言っているのだろう。
「そりゃまあ、応援は嬉しいけどよ。お前だって勝って上にいければ、ファンだってついてくる……」
「そういう事を言ってるんじゃないよ」
むすっとした声をライノにぶつけ、不満げにライノを見たいつきの視線が再び横に逸れた。
「それなのに、いきなり眼鏡見たいとか……なんでそういう事言うかなぁ」
(……???)
豹変するいつきの態度にライノが頭を掻く。ライノの人気が最近上がってきているのは事実だが、自分も人気者になりたい、といつきが思っているわけではないらしい。
ならば、彼が見せている感情は何と形容したらいいのだろう。敵対というほど攻撃的ではなく、やけに不安げに見えるその揺らぎは。
「時間、もうすぐだよ。スタジオ行こう」
「待てって」
立ち上がろうとしたいつきの肩をライノが押さえる。その瞬間彼の身体がびくりと震えたのがライノには分かった。
「な、何っ?」
「お前……本当に何か隠してないか? 俺に」
「かくっ……して、ないよ」
「隠してるな。なあ、怒ったりとか馬鹿にしたりとかしねえから、素直に言えって。そんな状態でクイズやって、いい成績出せると思うか?」
「いいじゃない、僕の成績なんかどうなったって!」
「よかねえから言ってんだよ! お前がどつぼにはまってんの見てるこっちだって辛いんだ!」
ぐ、といつきの手がライノのジャケットを掴んだ。強くそれを引っ張りながら真下を向くいつきの口から、くぐもった声が零れた。
「なんで」
ジャケットを引っ張る手の力が僅かに弱まる。
「そんなに、優しいの」
「は?」
「いいじゃない。あんなに沢山ファンがいるじゃない。みんなライノさん応援してるじゃない。僕の事なんか、構わなくたっていいのにさ……なのに、なんで」
手を置いた肩が震え続けている。
「愛してるとか、言っちゃえるくせにさ……っ」
言葉は、そこで途切れた。
「あー…………ぁー?」
なんとなく、いつきの言動の理由に思い当たったような気がして、ライノから気の抜けた声が上がった。
それにしても、これは。
「……いつき」
「…………」
「お前……俺の事、好きか?」
賭けとも言えるような答えの探り合い。
「!?」
びく、と跳ね上がった肩が全てを物語った。
「……そうか。そっか。なるほど」
肩に置いていた手を伸ばし、そのままがばと彼を抱き寄せる。いつきの身体が傾き、帽子がぱさりと床に落ちた。
「うぁ!?」
「なんだ、マジかよ。お前、やきもち焼いてたのか?」
「ち、ちちち違うよやきもちとかそんなのあるはずないじゃっ」
「素直になれって。俺があの決め台詞言うの、嫌だったのか」
「ぅぐ」
図星を突かれて観念したのか、ばたばたと手を動かし抵抗を示していたいつきの身体から力が抜けていく。あまりの素直さが可愛く感じられて、よしよし、とライノがいつきの頭を撫でた。
ライノの得意ジャンルがエンターテイメントに変わり、『愛してるぞ、おめーら!』という決め台詞が勝利時の定番になった。もちろんそれはアンサー協会の指示で言っている言葉に過ぎない。だがそれが、いつきの中に今までになかった感情を芽吹かせた確固たる原因だったのだろう。
その言葉を、自分に、自分ひとりに向けて欲しいと願ってしまったなんて。
ライノはどんどん勝ちを重ねて人気者になっていく。沢山のファンがついた彼が実力の伴わないチーム員である自分に魅力を感じる事などない。そのジレンマが負の連鎖を生み、ライノが調子よく勝てば勝つほどいつきの苛立ちが募り、戦績が落ち込むに至ったというわけだ。
「馬鹿。こんなところで勘の良さ使わないでよ。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃない」
気持ちを悟られてしまった事に顔を真っ赤に染めながらいつきが呻くような声で言った。
「俺の勘がいいんじゃなくてお前が分かりやすいんだって。……可愛い奴だな、お前」
「可愛いとかないから、絶対に。分かってる? 僕男だよ? 男に告白されて気持ち悪くないの? 抱きしめたりとかしないって、普通」
「いや? 別に。やきもち焼くくらい本気で惚れられてんだろ。悪くないな」
「趣味悪っ」
ライノがエンターテイナーに転向した時期といつきの成績が落ち込み始めた時期は合致している。自分の気持ちに気付いた時にはさぞかし狼狽した事だろう。それでもライノへの想いを捨てる事が出来ず、悪態をつきながらも今こうして腕の中でじっとしているいつきをライノは素直に愛しいと感じた。
「うん。そうだな、悪くない」
そう思えばこそ、手は自然と彼の顔を引き寄せていた。
「!?」
ライノの動きが意図する所を瞬時に察知し、いつきが身を固くしてそれに応じた。
瞳を閉じて、特別な接触を待った。
…………
沈黙の後。
「……ぷ……は、ははははは、あはははははは」
たまりかねたように吹き出すライノと、ぽかんとした表情で彼を見つめるいつき。
「ちょっ……何それっ!? 冗談だったの、ひっど……っ!!」
「ああ、いやいやすまんすまん。お前があんまり素直に目ェ閉じるもんだからもったいなくなってな、つい」
ライノの言葉にまたかあっと顔を赤くしたいつきの頭をぽんぽんと撫で、エンターテイナーはにやりと笑った。
「何もなしにご褒美をやるわけにはいかねえ。次のマッチ、俺に勝ってみろ。そうしたら愛してるでも何でも、お前の望み通りにしてやる。勝てれば、だけどな」
やれるもんならやってみな、と言わんばかりの口調でそう言い残し、ライノは控え室から出て行った。
「……言ってくれちゃって。余裕かましすぎて、足元すくわれても知らないよ?」
床に転がった博士帽を拾い上げ、顔を両手ではたくと眼鏡を指で押し上げる。
顔を上げたいつきの表情には一片の翳りもなく、次の対戦を心待ちにする闘志が口元に笑みとなって現れていた。
「十五連勝アンサー、簡単に取れると思わないでよ!」
焚きつけられた闘争心。再燃したクイズへの情熱と認められた悦びを全身にたぎらせ、いつきが勢いよく控え室の扉を開きスタジオへと向かう。

対戦の勝者は恋の勝者。
絶対に負けられない試合への挑戦が今、始まる。


END