くればいいのに(ver.SHU-S.) 2



風呂が溢れる前にお湯を止め、けれど湯舟に身体を浸す事はせず、僕は再びベッドに横になって目を閉じていた。空腹を訴える胃にパスタを入れる気にはなれず、鞄の中にあったバランス栄養食をかじってその場をしのいだ。
ずっと幼馴染として過ごしてきたはずが、何のいたずらだろう、男同士でありながら僕らは互いに惹かれるようになっていた。あの告白からお互いを本当に好きなんだと認め、僕とあっつーは寄り添うようになった。けれど時間は無常に過ぎ、大学生という立場からやがて自分の進路を見つけるべき時期に差し掛かり、僕らは決断を迫られた。
道はいくつかあった。僕らが生まれた町に戻り職を探す道。大学に通うため下宿した町で職を手につける道。そして、より自分の望む職を探して都心へと移り済む道。
『今迷ってどうすんだよ。やりたい仕事があるなら、就活中に全部当たれるだけ当たってくりゃいいじゃん』
芳しい答えのない就職活動に妥協を見せ始めた僕の背中を押してくれたのは、他ならぬあっつーだった。
『でも……』
僕は言い澱んだ。あっつーはコンピュータのシステムエンジニアとして、ゼミの繋がりで大学の近くの企業への就職が確定していた。彼の大学での努力が報われた形だった。
対して、僕が目指していたのはライター、編集者としての道。本に親しんで育つうち、本を作る側になってみたいと思い始めた僕の理想の仕事がそれだった。しかし出版社というのは大手になればなるほど首都圏に本社を構えるもの。ネットのストレージサービスなどが普及していても社員が会社に顔も出さずに仕事が出来るはずはなく、必然的に大学から離れた首都圏へと面接を受けに足を運ぶ繰り返しになっていた。
自分の夢を追いライターという職を選ぶ事は、彼との間に距離を作る事を意味した。
『そりゃ……距離は離れるけどさ。でも、新幹線とか使えば三時間もかかんないくらいだろ? 会いに行けるって。だから、遠慮とかしないで、全力で仕事探してこいよ』
距離が離れる。小さい頃から一緒だった相手がいなくなる。その事に対してきっと彼だって、僕と同じような不安を抱えていただろう。
それでもあっつーは笑って、僕の頭をぱこんと叩いて言った。
『やらないで後悔するより、やって後悔する方がマシだろ?』
それは男同士という線引きを越え、互いに手を取り合った僕らがよく口にしていた言葉だった。苦しい事もあるけれど、お互いに触れ合えた幸せはずっと大事にしていこうと、二人で約束していたから。
だからここでも尻込みはするな、あっつーはそう言って僕の就職活動を最後まで応援してくれたのだった。
結果、僕の必死の努力は実を結び、そこそこ名のある出版社に就職する事が出来た。僕は都心の出版業界へ、あっつーは地方のコンピュータ関連会社へ身を投じ、それぞれの生活が始まった。
憧れの業界は目新しい事と過酷な現実とが山積みで、徹夜は当たり前、入稿トラブルや装丁ミスで朝帰りになる事も度々。あっつーの仕事も似たようなものだから、着信音で互いの貴重な睡眠を邪魔するまいと電話やメールを控える事も暗黙の了解になりつつあった。
入社から二年が経ち、仕事には少しの慣れも出てきている。だが互いの休みが折り合う日は少なく、二人きりで会えた時間はこの二年で片手で数えられる程度。近い距離にいるはずなのに、そんな思いが一層胸を締め付けていく。
今、君はどうしているんだろう。
ひと仕事片付いた夜。与えられた自由な時間。何かおいしいものでも食べて、ゆっくり風呂に入って、また明日も頑張ればいい。
そうすればまたいつか、君に会える。
「……あっつー」
机の上の携帯を取りに行きたい衝動に駆られる。それを辛うじて押し止め、僕はベッドの上で身体を折り曲げた。
違う。そうじゃない。今の僕が欲しいのはごちそうでも、温かい風呂でも、ふかふかの布団でもなくて。
ただ一言、君の声。
ただ一握り、君の手の温度。
仕事に忙殺される時間は君のメールが気持ちを支えてくれる。不意にその忙しさの鎖が解けた時、余裕の出来た時間こそが、君のいないこの部屋の孤独をこんなにも強く押し付けてくる。
会いたい。あの笑顔に触れたい。甘え癖のある身体を抱きたい。お腹が減っているのならご飯を作って一緒に食べたい。ただひたすらに互いを強く抱き締めて、キスをして、そのままずっと。
こんな時間ほど、僕はこの仕事を選んだ自分を呪わずにはいられなくなる。大学の近くに就職していたなら、こんな思いはしなかっただろう。あっつーの側で、彼を励ます事も出来ただろう。僕の我が侭が君をどんなに孤独にさせているんだろうと、何度口にしたって足りない。笑って背中を押してくれた君にせめて報いようと必死で自分を奮い立たせても、やっぱり君を求めてしまうこの気持ちだけは抑えきれないんだ。いつだって。いつでも。
でも、きっとあっつーは僕に言うんだろう。
許すとか許さないとかそんなんじゃねーよ、って。
そうして二の言葉を接ぐより早く、僕にぺたーっとくっついて、彼は笑う。
会いたい。
それは後悔ではなく、ただ、僕の弱音に過ぎない。分かっているからこそ、この環境であっつーに甘える事だけはしないようにと、固く口をつぐむ。
たったひとつ、言葉にしてはいけない本心。
またいつか、じゃなく、今すぐに。
あなたがくればいいのに。
叶わない願いは涙になって、頬を伝った。