seul au monde 3(ロン毛×デフォ)



「ただいまー」
「ただいまぁ」
玄関の明かりを点け、あっつーが腰を下ろして靴を脱いだのを確かめてから荷物を部屋に入れる。風呂場にも明かりを点け、勢いよくバスタブにお湯を入れ始めた。
「風呂かー、絶対傷染みるよなー」
「染みるなんてもんじゃないだろうね。でも傷口洗った方がいいし。ぬるめでゆっくり入りなよ。先にお風呂で、その後で消毒とかしてからご飯にしよう」
「ういよ」
僕のベッドに腰かけていた姿勢から、あっつーがゆっくりと身体を横たえる。目を閉じて、ふうーっと大きく息を吐き出した。
「服にも血が着いてる」
彼の長袖シャツに滲んだ血――多分右手の傷の血がついたのだろう――を見た僕の言葉に、あっつーが思い出したように言った。
「あ、そういや右膝もぶってるんだっけ」
「だっけって」
「服の下だからあんまり気付いてなかったっつーか」
寝転んだ姿勢のあっつーのジーンズを、僕はそっとたくし上げてみた。
「うわ、ちょっとこれ酷いよ!? 傷大きいし!」
「マジで? ……うわー、結構キてるなー。これ治るのにどんくらいかかっかな」
いざ膝を見てみたら、そこには親指の先程の傷口。もちろん出血しており、あっつーが改めて自分の怪我の酷さを認識したのか眉をしかめた。
「さっき薬局で傷を治す絆創膏っての買ってきたよ。それ使ってみようか」
「あ、あれか。んじゃ人体実験してみるか」
「実験してきかなかったら笑えないって」
それでも、電話してきた時よりあっつーの話し方が明るくなってきている。余裕が出来てきたんだろう。そう思ってあっつーを見ると、彼は両腕を前に突き出していた。
「いっちゃん」
抱き締めてくれ、と言わんばかりに。
「え、痛いんじゃないの?」
「痛いよ。だから、いっちゃんはこっち来るだけ、オレがする感じで」
ベッドで上半身を起こしている彼に高さを合わせるため、膝を折る。そのまま近付いてあっつーの肩に額をくっつけると、彼の腕がそっと僕を抱き寄せた。
「……ありがとな。本当」
小さく呟かれた言葉に滲むのは安堵。彼を抱き締め返したい衝動を抑え、僕はあっつーの肩に額を擦り付けながら首を横に振った。
「あん時電話して、すぐ来てくれたじゃん。マジ嬉しかった。なんか、転んだ後でビビっちゃってさ。家に帰るとか考えらんないくらいになってて……情けねーよな」
「いいよ。事故ったのに何も言われないで一人で帰られるより、一番に電話してくれてよかった」
「いっちゃんに電話するくらいしか思いつかなかったし。こんな事やって、最悪来てくれとか助けてなんて言えるのいっちゃんしかいねえ」
うん、と今度は縦に頷く。あっつーは僕の一番大事な人で、あっつーにとっても僕は一番の存在。友達より遥かに強く想う相手の一大事に手助けの一つも出来なかったら、そうさせてもらえなかったら、僕は自分を責め続ける事になっただろう。あっつーが素直に甘えてくれてよかったと、心底思った。
「雑貨屋の店長さんいい人だったね。自転車取りに行く時、お菓子でも持ってお礼しないと」
一歩間違えば、彼の命はなかった。張り詰めていた気持ちがほぐれ始め、同時に最悪の結果にならなくてよかった、という気持ちが涙に変わる。あっつーに泣き顔は見せまいと、僕は雑貨屋の店長さんの名前を出してごまかした。
「そうだな。手ぇ痛いけど、どんくらいでチャリ乗れるようになるかな」
「無理しなくていいよ。鍵借りて僕が取りにいって、あっつーの家に置いてきてもいいんだから」
「ん。今回は甘えとくわ、流石に……」
ゆっくりと、僕に重心を預けるあっつー。静かに彼の頭を撫でながら、彼を助けてくれた神様に感謝した。
「なんかさぁ、神様っていんのかな」
僕が今考えていた事を言い当てるかのように、あっつーが呟く。
「そうだね。今回ばかりは神様にありがとう言わないとね。案砂神社さんにお参りしようね、今度」
「そうだなー……交通安全のお守りも買わないとなぁ」
へらり、あっつーが苦笑する。本当は、あっつーは神社仏閣の類が得意ではない。僕達がまだ小さかった時、遊園地の暗いアトラクションで怖い思いをしたのがトラウマになっているせいだ。ホラーと参拝する場所とは違うはずなのだけど、『何がいるのか分からない恐怖』への抵抗感は拭えないんだそうだ。もっとも、あっつーがホラー系が苦手だというのは、僕ともう一人の幼馴染、もかちゃんしか知らない秘密。
そのあっつーをして、神社に詣でようと言わせるほどの恐怖体験。あっつーを守ってくれてありがとう、と、下宿から数分の案砂神社に向けて僕は小さく手を合わせた。
「今日さ、久しぶりにマフラー出したんだわ。風冷たいから顔に巻いてチャリで走ってて、それでこけてさ。マフラーがあったおかげで、顔やられずに済んだ。マフラーなかったら、今絶対顔に傷出来てる。だから、神様が手加減してくれたのかなって」
文字通り奇跡的に傷のないあっつーの顔。そっと、彼の唇に指で触れた。
「キスしてもいい?」
「ん」
ぶつけた身体が痛む事がないように、僕達はいつもより慎重に唇を重ねた。
「ありがとな」
「うん」
僕にこんな災難がふりかかったら、きっとあっつーを心底心配させてしまうんだろう。僕もこれから、色々気を付けなくちゃ。
僕達は、ひとりではないんだから。大事な人がいるんだから。
何事もない日々が一番の幸せだと、思い直した出来事だった。


翌日、あっつーは大学を休んで外科に行ったが、骨などに損傷はないという事だった。
しばらくの療養を経てすっかり元気になった彼は、鞄に案砂神社のお守りをくくりつけ、今日も僕の部屋に遊びに来ている。


END