L'HOMME 時間を止めて(ソフモヒ&ロン毛)

<登場人物紹介>

和久田智則
ソフトモヒカン。案砂大2年生、薬学部所属。
周囲に比べるとやや寡黙だが自分の考えはしっかりと持っていて、情熱を傾けるものへの気持ちは人一倍強い。
時々アコギを持ち出して人気のない学生ホール前で弾き語りをしている事がある。
実験の最中にスコアを思いついて実験を放り出しそうになるのが玉にキズ。
クイズの得意ジャンルはエンターテイメント、自然科学。

妹尾いつき
ロンゲ。案砂大二年生、語学・文学部所属。
少し自信家的な発言も見られるが優しい性格。女子にモテるものの、「いい人なんだけどね」で終わってしまう事多し。
子供の頃からの本好き。クイズの得意ジャンルは語学・文学、趣味・雑学、グルメ・生活(知識的な部分で)。


夜九時半。図書館も閉まり、部外者の立ち入りもない大学の学生ホール前広場に人気はない。
学内の所々に点在する街灯と薄く漏れる月明かりにだけ照らされた無人の空間。そこに響く旋律に誘われるように、妹尾いつきは彼へと近づいていった。
「お待たせ」
いつきの声に応じるかのように、ギターの調べがジャンッ、と鳴って終わる。音楽の途切れた広場には再び沈黙が訪れ、いつきがその人影の隣に腰を降ろしてようやく、彼はぽつりと口にした。
「ん」
多分、そう言って頷いたのだろう。それ以上言葉を継ぐ事はせず、和久田智則は言葉の代わりにするように再びアコースティックギターの弦を弾き始めた。素人の耳にもなかなかの熟練と分かるギターの音色が夜闇に響き、消える。時折それに和久田のボーカルが重なり、たったひとりのオーディエンスのための演奏会とも言える時間が案砂大学内で過ぎてゆく。
金曜日のこの時間に決まってギターの音が聞こえる事にいつきが気づいたのは半年ほど前。図書館閉館まで居残って帰宅する時に、ふいにギターの音が聞こえてきて足を止めたのが最初だった。その時はギターを弾いている人がいるんだな、という程度の認識しかなかったが、毎週その音を聞くうちにいつきはなんとなく金曜の夜を楽しみにするようになった。だがその人物に声をかける事はせず、ただ遠くでその音色を聞いているだけの時間を繰り返していた。
そんなある日、古本屋『質疑応答』でいつきは彼に出会う。ドイツ語を一緒にとっている友人のテレンに連れられ店にやってきた彼の名は和久田智則。音楽以外に興味はなさそうな彼だったが、諸事情あり案大クイズ研究会のOBにして『質疑応答』の店主、ライノの勧めもあって和久田も案大クイズ研の一員となり、友人として色々話すようになったのだった。
他のメンバーに比べれば落ち着いた物腰で、あまり多くを口にはしない。それ故に時折発せられる低い声が印象に残る。いや、彼の声が印象に残っていたのはもっと前からだ。金曜日のギターの調べと共に聞こえる歌は彼の声そのものの素質と相まって、遠くにいたいつきの足を止めるほどの魅力をいつも放っていたのだから。
「和久さんの声って格好いいよね」
和久田の歌と演奏とが終わるのに合わせて小さく手を叩き、目を細めながらいつきが言う。それを聞いた和久田は少し頭を掻き、至極真面目な様子でいつきに返した。
「俺は妹尾の声の方がいいと思う」
「またまた。それだけ歌って弾ける人が何言ってんの」
「嘘は言ってない。俺は妹尾の声、好きだ」
包み隠す事もなく和久田が言う。婉曲的な表現を使わずに思うところをストレートにぶつけてくる彼の性分も、今までいつきの周囲にいた友人とは違う魅力のひとつ。不器用さの裏返しかもしれない和久田の言葉を、いつきは素直に受け取る事にした。
「ありがとう、褒めてくれて。僕も何か楽器とか出来たらね……」
「俺が弾く。妹尾が歌う。それでいいじゃないか。ユニットが成り立つ」
「ええ、もったいないよそれじゃ。和久さんの声を生かさないなんて駄目だよ、これだけ上手に歌も演奏も出来るんだから。街中の地下道とかでやってみたらどう?弾き語りとか」
いつきの言葉に、ギターを手繰り寄せるようにして和久田が背を丸めた。
「金が欲しいわけじゃない。……それに、俺の挑戦はもう終わってる」
「え?」
ぼんやりと街灯に照らされた、校門までの長い道を見つめながら、低い、だがよく通る声で和久田が呟く。
「プロになろうって思ったんだ。高校生の時に。音楽で食べていく事にすごく憧れて、大学受験の代わりにオーディションを受けたりした。でも、駄目だった。親にもらった一年の猶予の間に、俺はプロになるためのきっかけを掴む事が、出来なかった」
「……そう、だったんだ」
「親との約束だったからな、そこで……諦めた。そこからまた一年勉強して受験をして、今ここにいる」
挫折という和久田の過去。それが夢を描く若者にとってどれほどの痛手であるかなどという事は、いつきにも容易に理解しえる事だった。
「ごめん……変な事、聞いた」
「妹尾が気にする事じゃない。結局それでも……諦めたなんて言うわりには、今もこうしてこいつを弾いてるんだ、俺は。気がつけば頭にメロディーが浮かんで、授業中にメモをとってる。弦の張り替えだって習慣になってて忘れられない。情けない、と言うべきか」
いつになく言葉を継ぎ、自嘲気味な笑みを浮かべた和久田にいつきが言い返そうと思ったその時。
「でも、これでいいんだと思う」
いつきが言おうとした言葉を、さらりと和久田自身が口にした。
「プロだアマだ、そんな事は関係なく、俺は音楽が好きなんだと思う」
表現者としての根本を思い出したかのように、和久田は再びギターをかき抱く。
「それに、歌ってた事、妹尾は気づいてくれてたしな」
急に自分の話を振られて、いつきは一瞬言葉に迷う。確か『質疑応答』で最初に和久田に会った時、時々大学でギターを弾いてるよね、と彼に問いかけた事があった。和久田はその事を言っているのだろう。
「う、うん。ずっと聞いてたからね。いい声にいい伴奏だから、自然と気になってた」
「それで、俺は妹尾に会えた。長嶋やテレンにも。ライノの親父や、他のクイ研メンバーもそうだ。だから、俺はただ無くしただけじゃない。……道は、いくつでもある。きっと」
それはプロという夢への再チャレンジを言っているのだろうか。穏やかな、だが自信を滲ませた笑みを浮かべると、和久田は再びギターを奏で始める。その音楽を聞くと同時に、いつきがすう、と大きく息を吸って口を開いた。
「たった一つ 願い抱えて 歩き始めた長い道程
 明日はもっと 強くなろうと 呟きながらここまで来た……」
和久田が作曲をしたこの曲は未完成で、まだ名前もない。メロディーラインだけをいつきに聞かせ、この歌は俺が歌うよりも妹尾の方が合う、歌詞を考えてくれないかと和久田はいつきに頼み込んだ。その熱意に折れたいつきは慣れない作詞というものに手をつけ、どうにかサビのあたりまで詞が出来上がったところ。お互いの思惑をすり合わせながらひとつの曲を作り上げる作業を、こうして毎週二人は繰り返しているのだった。
「ずっと 僕を呼んでるその声を もう一度聞きたくて 会いたくて 走り出す
 今も胸の奥で響き続ける……うわ、っと!?」
それなりに気持ちよくサビを歌っていたいつきが驚きの声を上げる。すぐ横でギターを弾いていた和久田の身体がぐらりと傾き、ギターごといつきの肩に寄りかかってきたからだ。
「わ、和久さん!?どうしたの、どこか悪っ……」
「…………ねむい」
「へっ?」
抱き止めた和久田が漏らした言葉に、いつきが目を見開く。
「そういえば……昨日から、寝てない。実験やってて」
「ええっ、ちょっと!? どうしてそんな状態でここに来たのさ、練習休んで家に帰って良かったのに!」
薬学部の和久田が頻繁に実験をしている事をいつきは知っている。そこまで無理をしなくても、と言いたげないつきを一瞬だけ見て、和久田が言った。
「妹尾が来るから……楽しみだった」
「……和久さん」
「……妹尾の声……安心……す…………」
いつきの腕にかかる体重が一気に重くなる。言葉を途切らせ、代わりにすーぴーと寝息を立て始めた和久田を、いつきはがくがくと揺さぶった。
「ちょ、ちょっと和久さん! こんな所で寝ちゃ駄目だよ、起きてってば、ねえー!?」
緊張の糸が切れてしまったのか、どんなに揺すっても和久田が目覚める気配はない。はああ、と大きな溜息を吐き出して、いつきは一人肩を竦めた。


チッ、チッ、という規則正しいアナログ時計の音が耳に届く。
「…………」
うっすらと目を明けると、室内はオレンジ色の電球で薄く照らされていた。身体にかけられた布団で自分が寝ている事は理解するものの、視界の天井に見覚えはない。
「俺は……」
「起きた?」
電気の点く音。急に真っ白い光が溢れた視界に和久田が目を細めながらベッドから身体を起こす。視力が慣れ目を開くと、そこにはいつきの姿があった。
「よく寝てたからね、起こしちゃ悪いと思って」
「……妹尾? 俺は……」
「ギター弾いててそのまま寝ちゃったんだよ。そのままずっと大学にいるわけにはいかないし、かと言って部室ももう鍵閉まっちゃってたしね……仕方ないから、力技だけど和久さんを背負って僕の家まで来たってわけ」
「こ、ここ、妹尾の家なのか!?」
眠った事についての記憶が全くない和久田が、彼にしては珍しい狼狽を露にした表情をいつきに向けた。下宿から大学へ徒歩で行ける距離とは言え、それなりの身長がある男を背負ってここまで来るなんて相当の重労働である。
「あ、ちゃんとギターも持ってきたからね。和久さんごと背負ってきたから、弦とかおかしくなっちゃってたらごめん」
「あっちゃ~……すまん妹尾!」
頭を掻き毟り、顔の前で手を合わせて頭を下げる和久田に、いつきはひらひらと手を振ってみせた。
「ううん、大丈夫。僕が和久さんの家を知ってれば良かったんだけどね……明日が土曜日で良かったよね、授業ないから。あ、でもひょっとして実験まだ残ってたりする?」
「い、いや。実験は終わってて土日はフリーだ。俺の方こそ、妹尾に迷惑かけて……」
「いいよ」
にこ、と微笑んでいつきが言う。
「楽しみにしててくれたんだもんね」
実験の疲れを忘れるほどに、和久田が夜の約束を楽しみにしていた事。その嬉しさが自然といつきを笑わせていた。
「……う、うん」
室内に視線を彷徨わせながら、和久田が珍しく素直な返事で頷いた。
「さてとー。夜中の二時だよ。どうする? 和久さんお腹減ってない……って、ああ、和久田さんの方がいいのかな」
「ん? どうしてだ」
「いや、だって、僕より和久さんの方がひとつ年上だし」
「ああ。そんな事は気にしなくていい、学年は同じだ」
「そう?じゃあ和久さんで。あ、そうそう和久さん」
「何だ」
「僕の事も妹尾じゃなくて、いつきでいいよ。遠慮なしでさ」
「……分かった。ありがとう、せの……いつき」
「うん」
そう言えば、大学以外の場所で二人きりになるのなんて初めての事。お互いにそれに気づいたからだろうか、くすぐったいような雰囲気をどちらからともなく察して、男二人がくすりと笑った。
いつきが和久田に手を差し出す。握られた手を引き、彼をベッドから起こしてやった。いつきが部屋の扉を開けて玄関の方へと向かい、そちらにある冷蔵庫を開けて中身を確認した。
「さーて、どうする? 和久さんお腹減ってるよね? あ、でもまずはお風呂かな」
「すまない、何から何まで」
「いいよー、あるものの処分になっちゃうけど、材料はなんとか足りるかな」
「もしあれなら、俺が何か作るか? 野菜炒めとかそれくらいなら。一宿の恩だ」
「あ、じゃあお願いしてみようかな。調味料とかそこに入ってるから。こっちはお風呂入れておくよ」
気兼ねなくいられる空間がひとつ増えた事。新しく始まる関係。
素直な喜びと共に、男二人の夜は静かに更けてゆくのだった。


END