もう一つの予感-ANOTHER PRESENTIMENT-(ロン毛&ヒゲ)

<登場人物紹介>

妹尾いつき
ロンゲ。案砂大二年生、語学・文学部所属。
少し自信家的な発言も見られるが優しい性格。女子にモテるものの、「いい人なんだけどね」で終わってしまう事多し。
子供の頃からの本好き。クイズの得意ジャンルは語学・文学、趣味・雑学、グルメ・生活(知識的な部分で)。

来野(ライノ)
ヒゲ。30歳台。今は古本屋「質疑応答」の店主をしている。
80年代末~90年代初頭のクイズブーム時には案砂大のクイズ研究会に所属し、名を日本にとどろかせた若きクイズ王だったのだが、その後消息が掴めなくなる。今のところいつき達に聞かれてもその頃の事を語る事はない。
ヘビースモーカーっぽいが吸っているのはメビウス1mg(以前はマイルドセブン)と一応健康にも気は使っているようだ。
クイズの得意ジャンルは経験と知識量から周囲とはレベル違いのオールラウンダー。
実際にクイズをやっていた経験から少しくらいのミスでは動じない、対戦相手に回すと非常に厄介なタイプ。


「こんにちは」
通いなれた、と言える程度には見慣れた店内に足を踏み入れながら声をかける。古本屋『質疑応答』の店主はいつものようにカウンターで煙草を燻らせながら新聞を眺めていた。
「ん。おう」
それでも店内に入ってきた客の気配に気づいたのか、彼の声に少し遅れて顔を上げる。何度も見た顔がそこにあると分かると、店主・来野は小さく手を振った。
「ギリシャ哲学の本で、何か良さそうなのあります?」
「ん。……そのチョイスだとあれか、志賀教の授業か」
来野――本来の名前は『きの』だが、彼と親しくなった者は彼の名を『ライノ』と呼ぶ――が言った志賀教という言葉に妹尾いつきは頷いた。案砂大語学・文学部で教鞭を取る志賀教授は周囲に『しがきょう』と呼ばれている。ライノも案砂大の卒業生のためそのあたりを察したのだろう。
(ライノさんがいる時からもう教えてたんだ、志賀先生)
「今どのあたりやってる? ソクラテスやプラトンはもう終わっただろ」
「ストア学派の話のあたりかな。でももうそろそろドストエフスキーに話が飛びそうで」
「おいおい、相変わらず端折った授業だな。さすが志賀教。哲学史……哲学か、ん~……、そうだな」
便所履きのままカウンターを立ち、迷わずにすたすたと歩いていった先でライノが一冊の本を手に取り戻ってくる。差し出されたその本の表紙には『西洋哲学史 古代・中世・戦前・戦後に見られる思想の変遷』と書かれていた。
「大体の流れを追うんだったらそれでいいだろ」
「……ありがとう、使えそう。じゃあこれください。えーと、七百円……」
「百円でいい」
ページに目を通し、内容を確認してから本を買おうとしたいつきにライノが言い切った。本の背表紙に古ぼけたラベラーで印字されているのは七百円。
「え。それじゃ悪いよ、百円て安すぎでしょ?これ、正価二千五百円の本なのに」
「いいって。どうせそれも案大の学生が入れてったヤツだろうからよ。後輩に有意義に役立ててもらえる方が本も喜ぶってもんだろ。んでお前はそれを安く手に入れる。理にかなった物流じゃねえか」
「そりゃそうだけど……」
「そもそも学術書だ何だが高すぎるのがいけねえんだ。学生だってもっと遊ぶ金も欲しいだろうによ。……まあ、古本てのは本来出版業界に利益になる商売じゃねえから、あまりデカい口叩ける立場でもねえんだけどよ、俺も」
それで本当にこの店の経営は大丈夫なんだろうか。目を丸くして顔を上げたいつきから百円を受け取ると、一応その本を紙袋に入れてライノがいつきに渡した。
「志賀教ならちゃんとレポート出しておけば点はくれるはずだ。あんまり的外れな事書かないでまとめとけ」
「分かった。ありがとう」
以前に比べていつきがライノと喋る機会は多くなった。アンサー協会がライノを探してこの古本屋にやってきたあの日、敦史、テレン、和久さんとこの場に居合わせた偶然が彼らをクイズ番組『アンサー×アンサー』へ出場させる事になり、そしてそこから互いにコミュニケーションをとる事も増えた。クイズ研究会に入り毎日皆で顔を突き合わせ、様々な問題に挑む日々。過去クイ研に所属していたというライノもそんな風だったのだろうか、と再び新聞を手に煙草の煙を立ち上らせた彼を見ていつきが思った。
とっつきにくい雰囲気があるが、いざ話すようになってみるとこのライノという男の器が目に見えてくる。古本屋の店主などやっているのだから読書量は想像に難くない。さっきもいつきに頼まれ迷う事なく哲学の本を引き抜いてきた、つまりこの店の中にある本の配置とおおよその内容を覚えているという事だ。どれだけの本を彼は読み漁ってきたのだろう、そんな事に興味を持ち始めた自分がいる事にいつきの口元が僅かに緩んだ。
そして多分本来は話すのも好きなのだろう、経験からくる桁違いの知識量と記憶力は自然と会話に滲み出てくる。その話が面白いから自然とここに足を運んでしまう。数日に一度は『質疑応答』に足を運んでは本を探すのを名目に店主と会話する、そんなようなサイクルが最近のいつきの中で出来上がっていた。
「おい、お前」
「ん?」
ぼんやりと本棚を眺めていたいつきをライノが呼んだ。
「名前何だっけ」
「ぶっ」
そして投げかけられたダイレクトな問いにいつきが吹き出し、カウンターに近づいた。
「ひどいなー。何度も来てるのに名前知らないとか」
「だってお前ら、あの時きちんと名乗ったわけじゃねえし。でも大体は覚えたけどな。テレンは元から知ってるとして、あれだ、お前と一緒に来る犬っぽい奴が敦史だろ。んでギター持ってくる奴が和久田」
んでお前は、と言わんばかりにいつきを見たライノにいつきが答えた。
「妹尾いつきだよ」
「妹尾。河童の方か?」
そして彼の名を聞くなりライノが口にした言葉に、いつきが尋ね返す。
「少年H?」
「お。流石本読んでるだけあるな」
問いに対して正しく小説家の作品名を上げた後輩に、ライノがにやりと笑った。
「で、あいこって名前の妹がいたりしてな」
「……? 妹はいないよ?」
真顔で首を傾げたいつきに、ライノが手を振りながら苦笑した。
「そっちの知識はあんまり詳しくないか。たまにゃ漫画も読め、アニメも見とけ。ああいう所からも学ぶもんはあるぞ、若人」
「???」
後日、ライノが何を言わんとしていたかをネット検索してみて初めて知ったいつきだった。

本に囲まれた空間、古本屋『質疑応答』。
そこを居心地良く感じるのが何故か、という事に、まだ気づかなかった頃の話。


END